カルカンサイトの誘惑
(ミルグラム 0507)
「助けてって、幻聴が聞こえるようになったんです」
喫煙室で、シドウはそうぽつりと言った。カズイは、セブンスターをふかしながら「そうなんだ」と返した。二審の尋問、歌の抽出が終わってから、シドウはいやに元気がない。いや、コトコの襲撃があってからずっとかもしれなかった。
フータとマヒルが重傷を負い、精神的にも不安定になってしまってから、この監獄での雰囲気は一変した。アマネは治療を拒否し、ミコトは孤立している。
おそらく、彼らがこの監獄で完治することは見込めないだろうとシドウはわかっていた。だからこそ、自分がいないと彼らを生かすことが出来ない。
一審では死にたそうな目をしていたアイスグレーが、生命力にギラついていた。それはプレッシャーで押しつぶされそうな瞳とも言えた。
「幻聴か……。俺は今のところ、平気かな。フータが、一番ひどいらしいね」
「そうらしいですね。彼はいつも怯えている」
自分がどうにかしなければ、とシドウは続けた。手伝うことがあったら言って欲しい、という言葉をカズイは口にしかけて、あまりにも野暮だとつぐむ。
「まあ、フータの面倒は俺が見るし、なるべく一人にさせないようにするよ」
カズイは、ほんとうに助けを必要としている人間が、素直に言わないことを分かっていた。シドウも、自分で全てをせねばと息巻いているように見える。それをクールダウンさせたくて、カズイは「樫木ちゃんも協力してくれるみたいだし、そんな心配なさんな」と言った。
「ありがとうございます」
シドウは疲れ切った声で、「死ぬわけにはいかなくなったので、タバコもやめようかと思います」と言う。元々、好きで吸っていたわけではない。なるべく寿命が縮むようにと吸い始めたものであったから。
「そっか。じゃあ喫煙室も寂しくなるな。ミコトも来なくなったし」
「そうですね。彼も……たまに往診しているのですが、状態があまりよくない」
「まあ、先のことばかり考えてないで、今日は最後の一服でも楽しんだらどうだ?」
カズイは、ふさぎこむシドウに向かって、ふうと煙を吐いた。副流煙の香ばしい香りが、シドウの肺に充満する。気遣うようなカルカンサイトの澄んだ瞳が、咳き込むシドウを見て笑っていた。この人は、欲しい言葉をくれすぎるな、とシドウは思う。
カズイの言葉は、まるでカルカンサイトの毒のようにシドウをむしばんだ。彼に何か言われると、どうにも甘えてしまいたくなる。頼りたくなる。――愛されているような錯覚を起こす。
危険だ、とシドウの第六感が警鐘を鳴らしていた。それでも、今はそれに縋るしか出来ない。蜘蛛の糸だとしても、致死の優しさに溺れているだけだとしても、カズイの肩にシドウはもたれかかって、「ありがとうございます」と言って。カズイのタバコの箱から最後の一本を取って、火をつけた。