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​ドラッグなんかいらない

​(ミルグラム 0307)



「たとえば、おじさんがとっても悪い人間だったら、フータはどうする?」
 カズイがそんな馬鹿らしいことを言うので、フータはあきれかえって、「今更だろ」と返した。ここ、ミルグラムに収監されているということは、人の死に関わっているということだ。自分もろくでもないが、この男は自分以上にろくでもないことをしでかしたに違いない、という確信めいたものがフータにはあった。
「そうだよなあ、今更かあ」
 ハハ、と乾いた笑いを浮かべて、カズイは肺に入れたタバコの煙をフータに吹きかけた。ゲホゲホと咳をするフータを見て、カズイはケラケラとまた笑った。
 どうも、今日のこのおっさんは機嫌が良いらしい。またはその反対か。転がった注射器をばきりと踏み潰して、フータは「もうやめろよ」と言った。
「なにを?」
「わかってるくせに」
「いいじゃないか。そりゃ、シドウくんには怒られてしまうかもしれないけど、ここはそもそも日本の法律がどうこう言えるところじゃない。そうだろ?」
「そういう態度が気に入らねえんだよ」
 とろんとした垂れ目が、怒っているフータを見つめた。碧い目が、眠そうにフータを映し、そしてまぶたをとじた。
「俺だって、たまに。こうやって全部を忘れたいときがあるのさ……」
「だからってそんなことしなくても、いいだろうが」
「うん? じゃあ、お前が忘れさせてくれるの? フータ」
 どこか色気のある甘い声で、カズイはフータを呼んだ。子どもに呼びかけるような、それでいて恋人を呼ぶような、そんな声だった。フータは返事ができない。
「そうだろ? ふふ……フータ、はやくどっか行った方がいいぞ。俺はフータと違って悪い人間だから、逃げないならお前にも甘えてしまうよ」
「っるせえなあ。黙ってたら、ごちゃごちゃ言いやがって」
 フワフワとした態度で笑っている薬物中毒者に向かって、フータは踏み潰した注射器を更に強く踏みしめ、「じゃあ、オレがどうにかしたら、コレを使わねーってことかよ」と強がった。フータは元来、正義感あるまっとうな青年であるから、どうにかカズイにこの馬鹿げた行為を止めさせたかったのだ。
「ん? どうにかしてくれるのか? 本当に。ちゃんちゃらおかしいねえ。フータ、どうやって? 俺が忘れたいって言ったら、どうしてくれるんだ? キスでもして黙らせてくれる? 無理だろ、なあ、……ッ!?」
 ベッドに腰掛けたカズイの手から、タバコがこぼれ落ちる。それはコンクリート打ちっ放しの床に落ちて、煙をあげた。もう限界だった。密かに尊敬すらしていた年上の男の、みっともない姿をフータはこれ以上見たくなくて、その拘束着の胸ぐらにあるベルトをひっつかんで立たせる。
「ふん、そんなことでいいならしてやるよ! すりゃいいんだろ」
「おいおい、無理するな。冗談だよ冗談……」
「はぐらかすな!」
 フータは意を決する。高校時代に付き合った女子とはどうやってしたかなんてもう思い出せないが、脅すみたいにカズイの口にキスをした。苦い味が口のなかに広がる。逃げ腰になるカズイのがっちりとしたからだを、フータはちからいっぱい抱きしめ、逃げるな、といっしんに念じながら歯列をなぞり、酸欠になるのも忘れて舌を追いかけた。
「はあ、わかったかよ。オレがなんにもできねえと思うなよ」
 口と口がはなれ、ぜえぜえと肩で息をしながらフータはカズイをベッドに突き飛ばした。カズイは呆けた顔でフータを見ていて、一杯食わせることができたとフータは満足する。
「ああ、わかったよ……。おじさんが悪かった。ごめん。もうしない。みんなに迷惑がかかるかもしれないしな」
 予想外の出来事だったのか、すっかりトリップもさめた顔をしてカズイはフータに謝った。また、みっともないところを見せた、と恥じた。フータは逆に、高揚していた。この得体の知れない男の、弱いところを暴いて見せたことをどこか嬉しく思っていた。
「そんなに何もかも忘れたいなら、なんでもしてやるよ。キスでもセックスでも。だから、そうやって悪ぶるのムカツクからやめろ」
「そりゃ頼もしいなフータ。当分頼りたくないよ、クスリにも。お前にも……」
 ふん、とフータは鼻を鳴らすと、カズイの部屋から出て行った。カズイは、壊れた注射器とすっかり燃え尽きたタバコを見つめて、参ったな、と呟いた。
 

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