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​ラブレター・エゴイスト

​(カリスマ りかいお)

依央利さんへ
 あなたが好きです。理解は、あなたを前にして初めて恋というものを知りました。
 二十五年間生きてきて、初めてのことです。依央利さんは人を好きになるということがどんなに楽しく、苦しいものかを理解に教えてくださいました。
 わたしはあなたが苦しまず、笑顔でいてほしいと思うのに、依央利さん、あなたはいつも「こき使って」「奴隷だから」などと言いますね。それが理解は心苦しいのです。カラッポ人間など、ほんとうはどこにもいません。実際わたしはあなたを周りのことをよく見ているすばらしい人だと思います。だから、あなたの望むような男にはなれないのが、つらいのです。
 あなたが望むのは、きっと壊れるまでにこき使ってくれるような暴力的な人間でしょう。それはわたしも承服しています。ですが、わたしはあなたにそうあってほしくないのです。依央利さんに、普通の凡人がするような、普通のしあわせを感じてほしい。わたしの愛を、愛として受け取って欲しい。そして、笑って欲しいのです。
 愚かな人間と、さげすむでしょうか。恋の前ではみな等しく愚かです。わたしはあなたと愛し合いたいのです。主人と奴隷でない関係になりたい。対等な、恋人として愛したいのです。
 好きです。依央利さん。愛しています。草薙理解は、それゆえあなたの願望に、原罪に、応えることができないのです。それを許してください。

草薙理解

 理解はそこまで書いて丁寧に便せんに入れると、ラブレターを机の中にしまった。渡す勇気も無く、ただ思いの丈を書くことしかできない自分が情けないと思いながらも、この日記代わりのラブレターを止められるわけではなかった。
「いっそわたしてしまったら……」
 何十通もたまったラブレターを、わたしてしまったら彼はどんな顔をするのだろう、と理解は想像した。戸惑う彼もきっと愛おしいだろうということは分かる。
 理解は自分が、彼の求めるパートナー像からはかけ離れた人間であるということを自覚していた。依央利は自身を奴隷扱いする人間になつくが、理解は対等に愛し合いたいのだから。
 だが、理解は諦めることをしなかった。彼が「愛する」ということは、絶対的に正しいことであって、それは秩序を執行するときのように、〝受け入れられてしかるべき〟正しさだった。つまり、理解にとって朝五時に起きることと、自分が依央利を愛することは「正しさ」という観点から見ればまったく同列なのだ。
 だから理解にとってこの愛は正義であり、成就することがすでに決まっている恋なのだ。それゆえ、自分の愛し方が依央利にとってどう映るかという観点は欠落していた。
「ああ、依央利さん。この25年の思いを、いつか必ず……」
 そう言いながら、理解は机のなかにラブレターをしまった。これは恋愛であり、正義の執行でもある。いずれ、この愛は成就されるべき【ただしい】愛である。でも、それはきっと今ではない、と理解にも一応分かっていた。ただいつかは、このデスクにたまったラブレターを渡して、じぶんがどれほどに依央利のことを愛しているかを証明せねばなるまい。
 
  

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