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​レ・フツウ

​(コルオキ)


「コルさん、最近そのモチーフにご執心ですね」
 にこり、とハッサクは人好きのする笑顔で、コルサのスケッチブックを眺めた。
 そこにはチャンプルタウンの風景のクロッキーがずらりと並んでいて、ハッサクはなにかコルサに心境の変化があったのだろうと推察した。キマワリを描くのが好きだったのに。
「ああ、ハッさん。恐ろしいよ。ワタシは」
「なにがですかな」
「チャンプルタウンは、恐ろしい。だが、描かずにはいられない。今月、なんべんあそこに行ったかしれないよ。ハッさん」
 コルサは胡乱な目でハッサクを見た。ハッサクは、その目の中に映る風景を想像しながら、そうですか、とだけ言った。
「小生も、あの街の異国情緒に溢れたたたずまいは惹かれるものがありますですよ」
「そういう意味ではないのだ!」
 バン! と作業途中の机をムチで叩いて、コルサは叫んだ。コルサのそれはいつものことであったので、ハッサクは柔らかい態度を崩さず、問いかける。「では、どういう意味ですか」
「このままだと、自分が変わってしまいそうで、恐ろしいのだ。…………あの男のせいだ」
「あの男……? アオキがどうかしましたか?」
「理解がはやくて助かる……」
 ハッサクはそこで合点がいって、同僚の名前を出せば、コルサはふらふらと椅子に腰掛けてため息をついた。そして、ハッサクの目を見て、「どこまで言ったら、笑わないだろうか?」と言った。
「どこまで言っても、小生はひとを笑ったりしませんですよ」
「ああ、アナタはそういうヤツだったな。……スケッチブックを見ろ」
 言われるままに進むと、見知った男のようなシルエットが現れた。それはページをすすめるごとに形が茫洋として、なにが描いてあるかわからないほどになる。
「なに、見たわけじゃない……。全部ワタシの想像で描いた」
「アオキがなにか失礼なことを?」
「そうじゃない。ただ、手を動かすと、そうなるってだけだ。……もういいだろう。返せ」
 なにか言いにくそうなようすで、コルサはそのスケッチブックを奪って、しまいこんでしまった。そういえばとハッサクが目の前のカンバスに目をやると、あまりに抽象化されているが、おそらく、たぶん、きっと、のレベルであるが、アオキらしい人物が描かれているような気がした。
「端的に言うと、困っている」
「コルさん。困っているのなら、本人に言うべきではないですかな?」
「本人に? 言えたなら、絵描きになっていないだろう。ハッさんもそうだろうに」
 は、とコルサは嘲笑する。ハッサクは、コルサがモチーフとして並々ならぬ感情をアオキに持っているのを知って、ただやさしく、友人のそのいじらしい感情表現が本人に伝われば、と願った。
「そうですね。今度、三人で食事にでも行きましょうか」
「し、食事?」
「制作に影響が出ているなら、解消しないと損でしょう。アオキに会って、直接「制作に詰まって困っているから協力して欲しい」と言えば……」
 ハッサクは大きな思い違いをしていた。コルサはべつに制作に詰まっているわけではないということ。そして、彼の思いは、ハッサクが思っているような簡単な感情ではないということ。
「言えぬからこうなっているのだろう! どうして、どうして言えようか、この口から発する50音からではなにも表せない、やっかいな感情を。耳を切って贈った方がまだマシだ。ああ、ハッさん。アナタは清廉ゆえに阿呆だ。ワタシのこころなど、いつだって分かってくれぬのだな」
 絶望的な表情で、コルサはハッサクを罵倒した。別に分かって欲しかったわけではなかったが、まるで「こころ」に出てくる「K」の気持ちで、今すぐ首を吊って死んでしまいたかった。
「アナタの優しさにはうんざりだ。しかも間違った優しさだ……。今のワタシは、アオキの前になど、出れうるような人間ではないのだよ、理解したまえ」
「…………コルさん」
 ぎろり、と睨まれて、ハッサクはたじろいだ。時に人の優しさは、人を傷つけることをハッサクはうまく理解しない。
「なぜそこまで、アオキを?」
「みなまで聞くな。いや、みなまで聞けと言うたのはワタシか」
 コルサは、困ったような薄ら笑いを浮かべて、「ただ、惹かれた。好きなのだ。きっと、愛している」と白状した。普通といいながら、ノーマルとひこうの二つのタイプを扱い、ジムリーダーと四天王を兼任するその男。シンプル(単純)は、突き詰めればそれは他者を圧倒するアヴァンギャルド(前衛的)だ。
 そのあり方に、惹かれた。ただそれだけのことだ。
「ほんとうはな、ハッさん。「惹かれた」の4文字じゃあ収まらないのだよ」
「だからこんなに、絵を」
「アナタも、きっとどうしようもない気持ちを抱えたらこうなる」
 ああ、こんなにも不器用な人間が、この世の中に二人として存在するだろうか、とハッサクは想い、おいおいと泣いた。
 泣くハッサクをほっぽって、コルサはまたカンバスの前に戻った。自分という存在を、ここまで縛る男が憎らしい。そして、縛っておいて、その気などないという顔で定食でも食べているんだろうことが想像できて、もっと憎らしさが増した。だが、反面愛しいのだ。
 話したこともろくにない男を好きになるのは、ミロのヴィーナスの見えない部分を想像することに似て愚かで崇高なことだろうか。サモトラケのニケの顔が見えないのを、美女に違いないと言うのに似て、馬鹿らしくて美しいことだろうか。
 コルサのなかにその答えはなかった。話すべきか、話さざるべきか。脳内のウィリアム・シェイクスピアがそう声高に言うた。それに答える声もまた、コルサは持ち合わせていなかった。
 ただ、この気持ちが消えてしまう前に、愛が思い出と化す前に、なにか残さねばならないという焦燥だけあった。成就させる気ははなからない。そしてコルサは筆を執った。
  
  

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