不機嫌バレンタイン
(SV ハサアオ)
妙に今日はハッサクが不機嫌だ、とアオキは不思議に思った。ポピーとチリが手作りしたというチョコレートブラウニーを受け取ったまでは嬉しそうだったのに、自分の顔を見るなりむすりとした表情をして――実際、いつもこうなのかもしれないが――小言ばかり言うのだ。
アオキはそんなハッサクを嫌だなあ止めて欲しいなあとのんきに思いながら、しかし本気で嫌いだとも感じたりもせず、いつものように目をそらして話半分でハッサクの小言を聞いていた。
「それで、アオキ。その、そこにある箱はなんですか」
ハッサクがそう、アオキのデスクにあるチョコレート・ボックスを指さしたので、ああ、この人これが聞きたいだけなんだろうな、とアオキはすぐに察した。ハッサクというのは子どもに対する穏やかで優しいイメージが先行しているが、大人としてはどうにも子どもっぽいところがあった。アオキは「いや、自分が買ったんですが……」と弁解する。
「女性に交じって? あの、デパートに?」
まだハッサクは信用に足らない、という顔でアオキを睨んだ。自分が自分のために買ったチョコレートで、なぜこんなにも責められなければならないのか甚だ不可解だが、アオキは嫌な顔ひとつせずに「はい」とだけ言って開封済みのチョコレート・ボックスから一つチョコを出して、自分の口に放り込む。
「あなたが食欲旺盛なのは知っていましたが、まさか自分で買うとは」
「だって、嫌じゃないですか。バレンタインにチョコレートを楽しめない人生なんて」
「ああ、アオキ。あなたはそういうヒトでしたね……」
そこまで聞くと、ハッサクはがくりと肩を落とし、困ったように顔に手を当てた。困っているのはこちらなのだが、とアオキは甘いチョコレートをもぐもぐと味わいながら、ハッサクを見た。
「ハッサクさんだって、嫌でしょう。バレンタインデーにチョコレートが食べられないのは」
「この年で気にすることではありませんですよ、アオキ。分かっていて言っているでしょう」
「でも、気にしているじゃないですか……」
「そりゃあ! あなたのことだから!」
大きな声が出た。もうこの程度ではびっくりなどしない。アオキは、「気になるのも当然じゃないですか」とスクールガールのようになってしまったハッサクに、どう声を掛けていいものかと悩んで、「別に」と言った。
「チョコレートが被ったとか、そんな些細なこと気にせんでくださいよ」
「些細! 些細なことではありませんですよ。小生、初めて女性に交じってチョコレート売り場にいったのですよ。ちゃんと、あなたが食べたいと言っていたところに……」
バレンタインにわざわざデパートのチョコレート売り場に行ったのはこの長い人生ではじめてだった、とハッサクは言った。ハッサクは出自のせいか、男女の差に関して頭がかたいところがある。アオキは別に今時チョコレートを男が買ってもいいと思うが、ハッサクにとってはそうではないらしかった。
「別に、自分は嬉しいですよ。ハッサクさんから貰えるならなんでも」
「ごまかそうとしていませんか?」
アオキは目をそらす。でも言ったことは嘘ではなかった。ドライな性格のアオキとはいえども、恋人からの贈り物は純粋に嬉しい。それに、自分がほしがっていたものならなおさらだ。
「そも、食べものなんだし、増えてもいいじゃないですか。ハッサクさん」
「そういう問題ではありませんですよ。これは小生の気持ちの問題で……」
「じゃあいいじゃないですか」
うなだれるハッサクに、アオキはそう声をかける。それでもどうも納得いかないという様子のハッサクに、アオキは「今日久しぶりに定時なんです」と言った。
「リベンジ、期待してますね」
ハッサクは咆哮を上げた。アオキは耳鳴りを感じながら、まだ残る甘い味を楽しんだ。