あぜみちをゆく
(くりへし)
日はかんかんでりで、セミのなく声がじいじいと辺りにうるさく響いていた。
じっとりとワイシャツの背中に汗が染みて、気持ちが悪かった。俺はスポーツバッグの中に入っていたスクイズボトルをあけ、冷たい清涼飲料水をごくごくと飲み干す。
「ひろみつ、ずるい。俺にもくれ」
だいぶ下の方から、おさない子供の声がとがめるように発せられた。それ聞いて俺は、スクイズボトルを小さい手に渡してやる。
子供は美味しそうに口をつけてがふがぶ飲んだ。この日照りだから、暑くて喉がたいそう乾いているのだろうなと知れた。
「ありがとう」
「熱中症になられたら困るからな」
「できた『おい』を持つと、いいな」
「なに大人ぶってるんだ。小学生のくせに」
ふふん、と気取ってみせる子供の頭をこつんとこづくと、「ぼうりょくはいけないんだぞ」と返ってきた。小学三年生になり、最近この子供はとみに口が達者になってきた。それが嬉しいんだか、腹立たしいんだか俺もよくわかっていない。
「カブトムシ、つかまるだろうか」
空の虫かごを見ながら、子供はそう言った。俺は「どうだろうな」と返して、田んぼだらけのあぜみちをぶらぶらと歩く。タバコ屋の三日月が言う、カブトムシがよくとれるという裏山まではまだ距離があった。
子供の名前は長谷部国重といって、信じられないが俺の叔父であった。亡くなったじいさんがどこかでこさえた隠し子で、ある日突然俺の家にやってきた。今日のようにひどく暑い夏の日に、まぶしいばかりの白いシャツとやけに黒い半ズボンで縁側に座ってひとりでスイカを食っていたことをよく覚えている。俺の家は昔ながらの日本家屋であって、ついでにいうと二世帯住宅だった。
俺のばあちゃんは「母親が蒸発したのよ。あの小娘、子供がかわいくないのかしらね」と苦々しげに長谷部を見ていた。じいさんが自分以外の女と、しかもずいぶん若い娘と子供を設けていたのが気に入らないというふうだった。
ばあちゃんがそんなだから、とうさんもかあさんもなにも意見できず、かわいそうな長谷部は家でどこか浮いていた。だが、長谷部は平気そうな顔をして転校先の小学校に普通に通っていた。物静かなタイプだが、友達も少しはいるようだった。
俺はあまり人と関わるのが好きではないが、そんな罪がないのにひとりぼっちの長谷部を見ているとどうしようもない気持ちになって、よく構ってやった。まだ高校生の俺に出来ることといったら、それくらいしかなかった。
すると、長谷部は犬のようになついて、「ひろみつ、ひろみつ」となんにつけても俺を呼ぶようになった。宿題を見てほしいとか、朝顔が咲いたとか、そういうことをよく話した。俺は懸命なそれがどうにもかわいくて、忙しくないときは話を聞いてやることが多かった。
「こんちゅうさいしゅうといったら、やっぱりカブトムシだろ。バッタとかばっかりだと、そうざに笑われる」
「そうだな」
「クワガタもほしい」
夏休みに入った長谷部は、俺をつれ回して遊びたがるようになった。小学校の友達の「そうざ」や「やげん」と遊ぶことも多かったが、誰とも約束をしていない日は「ひろみつ、あそぼう」と俺の勉強部屋までやってきて言った。
昨日の長谷部は、自由研究に昆虫採集がしたいから手伝えと言ってきた。だから昨日夕方に二人で裏山の木に蜜を塗って、こんな早朝に集まった虫を捕まえようと出掛けているのであった。
自由研究に昆虫採集とは、今時珍しいなと俺は思ったが、そういえば長谷部はよくじいさんの書斎から図鑑を引っ張り出してきて読んでいるなと気づいて、たぶんそれで自分も虫を集めたくなったのだろうと考えられた。
「ひょうほんにするのは手がかかるから、ひろみつも手伝うんだぞ」
「わかった」
「でも、つかまえるのは俺がやりたい」
「お前、できるのか? 逃がしそうだ」
「しつれいな。ひろみつは俺のことをこどもかなにかだと思っているだろう」
「子供のくせに」
長谷部は左手に持った虫取あみをぶんぶんと振り回して、「とれる」と言った。虫を捕まえるシュミレーションをしているふうだった。 あぜみちはまだ長く続いていた。俺と長谷部は手を繋いで、そこを歩いていた。