口からでまかせ
(えむます るいじろ アニエム時空 暗い 口調があやふや)
山下次郎は、くたくたになったせんべい布団のなか、宇宙人の交信電波が鼓膜を震わせるのを嫌がって耳を塞ぐように丸まった。
二日酔いの頭にはその振動は明らかに毒で、がんがんと頭痛がした。なんだってこいつは、毎日毎日自分のところにきてぴーちくぱーちく覚えたての言葉を繰り返す九官鳥みたいに名前を呼ぶのだろうか。
「ミスターやました! Goodmoring! 朝だよ! ミスターやました!」
狭い部屋に、底抜けに明るい声が響く。
あーうるさい、でもほっとくとご近所迷惑だからとりあえず部屋に入れないと。山下はそう思案して、もそもそと起き上がった。昨日は競馬の女神さまがほほえんで、山下の握った馬券を数枚の紙幣に替えてくれたから、いくばくか気分がよかった。
勝った金で買ったサッポロのカンカンをうっかりけとばしながら、玄関へ向かう。「あー。はいはい。開けますよっと」
ガチャ、と開ければ、何が楽しいのか、人類でいっとう幸福です! というようなまばゆいばかりの笑顔を浮かべて、同じグループの硲道夫がいうところの宇宙人――舞田類はたっていた。
「Hallo! How are you?」
「あ~、はいはい、アイムファーイン」
だるげに、教科書の例文のまま山下が返しても、舞田はとくに気にしていないようだった。ケラケラわらって、「ミスターやました、すごい猫背!」と言って、ずかずかと部屋に入り込んできた。遠慮のかけらもない。期待したって無駄だということを、山下はよく知っている。
「あ~、朝ご飯なんかたべた?」
「ううん、食べてない! ミスターやましたと食べようと思って」
舞田は万年ごたつの定位置に座ると、コンビニの袋を出した。おにぎり、おにぎり、からあげ、からあげ。あとサラダ二つ。「まさか、るい、同じのばっか買ってんの?」
「だって、ミスターやましたと同じのがいいから」
こどもみたいなことを言って、最近はやりのCMソングを鼻歌でうたいながら、舞田は朝食をテーブルの上に並べる。山下は、のろのろと動いてサッポロの缶を立て直して、舞田の向かいに座った。
「は~あ、なんで、オフの日まで、るいの顔見ながらメシ食わなきゃなんないかなあ」
「いいじゃん。オレはミスターやましたと食べるのとっても好きだよ」
「はざーさんは?」
「ミスターはざまも好きだけど、ミスターやましたのところの方が近いからね。Convenient!」
「近くて、便利。やました・イレブンって? コンビニじゃないのよ俺は」
山下は大きなため息をつくと、シャケおにぎりに口をつけた。まあ、ただ飯が食えるのは悪くない。そう思いながら白飯を咀嚼していると、舞田の熱烈な視線を感じて、なあに、と山下はじとりと睨んだ。「食べにくいんですけど」
「や、好きだなあと思って」
へら、と笑う舞田の戯れ言を無視して、山下は食を進める。いちいちこいつの言うことをまともに受け取っていたら、疲れるだけだと山下は知っている。嫌いなわけじゃない。むしろ仲間として好きだし、信頼もしている。
「Girlfriendがいたら、こんなのなのかな、ミスターやました」
けれど、舞田の〝それ〟には山下は付き合ってあげられない。そもそも、きちんと言わない舞田が悪いのだ。はっきりものを言う性格のくせに、ほんとうのところは臆病で、本心を隠している。
「あのさあ、るい。俺もお前も男で、しかも職業アイドル。まあ、教師でもヤバいけど。付き合うとか、だめでしょ」
「でも、オレはミスターやましたのこと好きだよ。ミスターもオレのこと好きでしょ」
だんだん論点がずれているのに、舞田は気づいているだろうか。山下は、からあげをひとつつまんで、そこに焼き印が押されているのを見て、当たりだ、と思った。
「......前から思ってたけど。るい、【好き】は英語で言わないよねえ。ラブなの、ライクなの」
はっきりしろ、という顔で山下が見れば、舞田は「言ったら、ミスターやました怒るから」と返した。それが答えだった。はっきりしないな、と山下はあきれた。
「そら怒るわ。さすがの寛大なおじさんも」
「ミスターやました、嫌いになった? オレのこと」
声がらしくなく震えていた。アホだな、と山下は思う。「それについてはノー。でも、俺はるいと一緒にいてあげらんないよ。るいと違って、常識があるから」
世界ってやつは、結構きびしい。いつも馬券が当たるやさしい世界だったら、今頃誰もが億万長者で、お金の価値は大暴落。破滅だ。
「世界が変わったら、一緒にいてくれるの?」
「ああ、うん。世界がかわったらねえ」
舞田の言葉を適当に流して、山下は食べ終わったゴミをコンビニの袋につめた。期待なんかしたくないから、舞田の言うことを本気にとって、鳴かぬ蛍が身を焦がすようなことをしたくないから、山下はいつだっててきとうなことを言う。
あとがき 暗い