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天命

(昭充 正史ルート 無双7)


 生まれつき人には天命が下っている。この世の全ては天にまします上帝が決めたことであり、死ぬも生きるも天命による。

 普段から頻りにそう口にしていたのは、司馬昭の兄、司馬師だった。幼くして父を失った賈充が爵位を継ぎ、その後司馬昭の世話役としての任を負ったばかりのころにはもう既に彼の口癖であったので、彼の異常なるまでの上帝を拝する姿勢はよく知られていた。
 ある時、若くして既に性根のひねた所があった賈充はいつものごとく天命を語る司馬師に向かって、「それなら子上が王になる天命もあるということですか」と申した。子上というのは、司馬師の弟、司馬昭の字(あざな)である。その頃には司馬昭とは字を呼ぶ程に打ち解けており、年こそ離れていたが、賈充の賢く物怖じしない性格もあってか二人にはその差を感じさせないところがあった。既に司馬師が彼の父司馬懿の後継として才覚を顕し始めた時分である。更には将来曹魏を倒すことになる司馬勢力も、大将軍曹爽の専横を憂えども未だそれを成していなかった時代の話でもあった。今となって思い返せばなんと恐れ知らずなことを言ったものだと賈充自身でも思うほどだ。当時、この少年の発言がどれほど身の程知らずなものであったか、想像に難くない。
「子上には、王たるべしという天命を感じます」
 しかし恐れというものをまだよく知らぬ少年は続けざまに堂々と、周囲から天賦の才有りと呼び声高い司馬師ではなく、怠け癖のあるぼんくらと侮られがちな司馬昭を王たるべき存在だと言った。
 これが誰かに聞かれていたら確実に処断物だろうが、幸いなことにその場にいたのは泰然自若の美徳を持つ司馬師当人のみ。加えて彼は周囲の評価とは対照的に自分の弟を凡愚であるとは少しも思っていなかったので、ただ司馬師はふっ、と笑って真面目な顔をして己を見つめる少年の頭を撫でた。
「天命は、しかるべき時に下ろう。何人たりとも、どんなものであれ天の命ずるところからは逃れられぬ」
「それは、本当ですか」
 賈充は青い瞳をらんらんと光らせて、満足そうに笑った。司馬師殿は分かってくださる。俺は正しかったのだ。少年の心はそんな誇りで満たされた。そして、司馬昭が認められた事を純粋に喜んだ。そのころから、司馬昭に王たるに値する才気を感じ取っていたのだろう。兄と比べられ、能がないと言われる司馬昭に。しかしながら、そのさとさは時に欠点となる。常に人より先んずるということは、人の理解を得るのが難しいということだ。先を行く彼の思考に周りが着いていけなくなったとき、賈充は独りになる。それは余りにも惜しい、と司馬師は感じた。
「ああ。しかしーーー、」
 司馬師は賈充の頭から手を離すと、演説の如く仰々しい身振りで、先が見えすぎる少年を諌めた。
「それは、天命が革まる時までは言ってはならん。星が、その時だとお前に教えるまで」

・・・

 淮南で挙兵した二人の将、毋丘倹(かきゅうけん)は慎県で討死、文欽は呉へと落ち延びた。かくして乱はひとまず平定され、大将軍であった曹爽の討伐後には既に国事を専有するまでなっていた司馬家の権威はますます増大した。魏の実権は司馬家にありーーー亡き司馬懿から始まり、一度は曹家によって揺らぎもした彼らの権力は、最早揺るぎないものになろうとしていた。
 しかし、物事はそう上手いことばかりとはいかぬものだ。なんと、その司馬家の支柱であった司馬師は、病を患う身ながら無理に出陣し、そしてそれが原因となってこの世を去ったのだ。倒れた我が身を抱き止める司馬昭の腕の中で、後事を託して。
「淮南の状態はーーー」
「至急、訴状を!」
「ーーーを国境の監視にーーー」
「この書簡を鍾会殿の元へ!」
 かくして魏の実権が事実上司馬昭に移ったのだが、城内は乱の後始末や、司馬師の残した仕事の処理に汲々としていた。北伐を繰り返す蜀や、文欽の逃れた呉の動きも警戒せねばならないのだが、国内状勢も不安定としか言えない為、どこもかしこもばたばたとせわしない。戦場に出るものの本来は文官である賈充も例に漏れず忙しく、書簡を手にあちらこちらへと飛び回っていた。またその傍ら帝曹髦(そうぼう)や、司馬師を失った司馬家に対してーーーつまり司馬昭に対して悪感情を抱く勢力の動静を逐一監視していた。勿論、独断でだ。賈充とその配下のごく一部しかその事は知らない。賈充が知らせていない。調べの中で浮き彫りになってきた名前が名前な為、司馬昭に知られれば困ったことになろうとはっきりと分かっていたからであった。
 権力を失いつつある曹髦、呉に落ち延びた文欽、そして新たに出てきた名、諸葛誕。
 司馬師には素直に従っていたので心配無用かと思っていたが、どうもここ最近帝と接触しているようだ。 曹髦は感がいいのか、自らの立場が危ないということを承知しているようであるし、諸葛誕はどうも曹家に対する忠誠心が思っていたよりも深いらしい。あの生真面目な性格からして、司馬師が倒れたあのときに真っ先に地を叩いて慟哭したのは嘘ではなかろうに、何故その司馬師に後事を託された司馬昭には従えないのか。賈充には不可解で仕方がなかった。
『断固として許す訳にはいかない。私は曹魏に忠誠を誓ったのだ。帝を蔑ろにする政治など、あってよいものか!』
 思考の柔軟さに欠ける、愚直な奴だとは思っていたが、部下に少し鎌をかけさせればこれだ。子供に怖がられる、と言っていた顔を真っ赤にして憤怒の形相を見せた諸葛誕の言葉を賈充は思い出し、ちっ、と舌を打った。邪魔な者は消さねばなるまい。出来れば、纏めて一度に。乱は戦争ではない。根まで抜かねばまたすぐに芽吹く。火種は消さねばまた燃える。
「賈充殿」
 背後より呼び掛けられ、ふつと思考が途切れる。騒々しい中でもよく通る、落ち着いた高い女の声。王元姫である。どこか慌てた風の彼女は、用件を問う賈充に向かって司馬昭の所在を問うた。
「いないのか」
「ええ。さっきまで一緒にいたのだけれど......」
「また、何処かにとんずらしているのか。世話の焼けるやつだ......。いいだろう、俺が探しに行こう」
 そこまでしてくれなくても、と遠慮をする元姫に賈充はこの書簡は子上当てだからな、と言ってみせた。嘘ではない。ちょうど仕事をさせねばと思っていたところだ。
 司馬昭が逃げ込んでいそうなところ、といえば大体は予想がつく。司馬昭自身に別段隠れるつもりがないというのもあるが、賈充が探すのに慣れてしまったという方が当たっている。

・・・

 子上、と呼び掛けると、木の上でくつろいでいる司馬昭はちらと片目で下を見た。
「なんだ、賈充か」
「なんだ、ではない。元姫が探していたぞ。こんなところでぼさっとしている暇などないはずだが?」
「あーはいはい、仕事ね。仕事」
 めんどくせ。と続きそうなぞんざいな返事に、いつものことながら溜め息が出てしまう。賈充は司馬昭がやれば出来ることは知っているので、その態度自体にはどうとも思わない。しかし、今の国は司馬氏の国ではない。ましてや司馬昭の国でもない。賈充が気にしていたのは、権力を狙う曹氏勢力に揚げ足を取られはしないかということだった。
「お前がそんなのでは、また曹氏派閥の連中に難癖をつけられてしまうぞ。しっかりしろ」
「いいだろ、言わせとけよ。魏の危機だからって、ろくろく喪に服さずに出廷してる時点で不貞者なんだ。これ以上何言われたって、俺は気にしない」
「仕方あるまい。後を引き継げるのがお前しかいなかったんだからな。......落ち着いたら、故郷に帰って再度物忌みをすればよい」
 そういうことじゃ、ないんだけどなあ。司馬昭はそっぽを向いて呟いたが、賈充の耳には入っていない。続けて「お前は、司馬師殿の後を継ぐのだからな」と真面目な顔をして見上げる賈充は、司馬昭の気持ちなんて少しも分かってはいない。司馬家の跡継ぎとしての自分を見ている。司馬昭にはそう感じられて、賈充から目をそらした。
「馬鹿言え、俺には荷が重いよ」
 木の上で空ばかり見ている方が性に合っている。いっそそうして過ごしていたいのだ。戦争も、争乱も、権力闘争もいらない。幼い頃からそういうものを見すぎて、あの兄上の後でうまくやっていくには司馬昭はとうに疲れてしまっている。
「子上」
 ぼやいたきり目を瞑って、昼寝をし始めた司馬昭は呼ぶ声を無視した。それなのに賈充は立ち去ることも登ってくることもせずにいる。変だ、と司馬昭は不審に思った。普段と違う。
「俺は、お前を王にしたい」
 よく通る声だった。普段、そこまで声を張らない賈充にしては。その真剣さと、「王」という言葉に司馬昭の心はざわめいた。
「は、お前、こんなときになに言ってんだよ」
「額面通りだ。司馬師殿亡き今、考えることといえばそれしかあるまい。俺はどんなときでも、それしか考えていない。一目見たときから、お前は天下を治めるべきだと思っていた」
 心臓がはやる。息が詰まる。どうして、賈充がそれを言うのだろう。そんな、権力の虜になった官僚たちの様なことを。
「はは、今更んなこと言われたって、俺はやる気ださねーよ、賈充」
「今更? いや、今だからだ。曹爽を廃して、お前が権力を掌握する。千載一遇の好機ではないか?」
「だから、俺は興味ないってば。親父も『不逞な心を起こすな』って言ってたろ」
「あのような無能、廃してしまえばよい」
「............俺が無能なら、賈充は俺を廃するのか」
「無能なら、な」
 くく、と笑う賈充が何なのか、何がしたいのか、司馬昭には分からなかった。数秒までは友人だと、元姫のように自分を支える仲間だと思っていたのに。賈充はこんなやつだっただろうか? 司馬昭は目を瞑って記憶のなかを探った。こんな、恐ろしいやつだっただろうか。
「子上、俺はお前を王にするぞ」
 こんな、無機物じみた目をしたやつだっただろうか。
 返事をしなくなった司馬昭が、自分のことを薄気味悪く思っているであろうと、さとい賈充は感づいていた。
 しかし、薄気味悪いもなにも賈充は以前からそうであった。変わったように見えるのは、黙っていたからだ。司馬家に仕えてから今までずっとその目的は胸にあった。それに司馬昭が気づかなかっただけだ。司馬昭が、賈充を「自分を理解してくれる友人」だと思っていただけのことだ。
 確かに賈充は誰よりも司馬昭を理解している。それは司馬昭自身が理解できないことにまで及んでいる。だから司馬昭は賈充を理解出来ず、また賈充も言葉をいくら尽くそうとも司馬昭を説得することは出来ない。そうなれば友人のままではいられないことも賈充は知っている。
 感傷は全て捨てられる。友情など犬の餌にでもくれてやる。だが、この野心だけは手放せぬ。
「子上、俺はお前を王にするぞ」
 木の上にいる司馬昭を見上げると、木漏れ日が眩しく賈充は目を細めざるを得ない。もうあそこには行けないだろう。そう覚悟していた。
 側には立てずとも良い。王になった司馬昭が見れたらそれで良い。だから諸葛誕を平然と斬りもした。帝の反乱を防ごうとはしなかった。
 寄せ集めの反乱軍は、宮廷内で暴動を行っていた。迎え撃つ司馬昭軍はその鎮圧、そして帝の捕縛を行うべく奮戦していた。どうせ帝の軍だ、とるに足らぬと思ったのだが、塵も積もればなんとやら。雑兵でも手強いものだ。
「賈公閭だな! 討ち取ってやる!」
 1人が鼓舞すれば、おおおといきり立った兵の雄叫びが響いた。少し前の司馬昭ならこんな人数相手にするなんてめんどくせ、などとぼやいていただろう。しかしあの顔はどうだ。帝の軍勢に相対した時のあの顔は。今や王としての資質を開花しつつある彼の顔を思い浮かべて、賈充は満足げに口を綻ばせる。
 もうすぐ、子上が王になるのだ。そう思うと口が柄にもなく緩む。兵卒どもが石ころに見える。
「貴様らは、戦場以外に死に場所を持たないのだろう。戦火のなかで生きて死ぬ以外に、生き方がないのだろう」
 こんな奴等の為に死ぬことなどできぬ。だが、子上......我が王は、そこにいるだけでここに居る有象無象全員よりも尊いのだ。
 賈充は得物を取り出し、ちらと見た。これが司馬昭を王にする武器である。あまたの無能の血を吸っている武器である。そしてこれからも血を浴びることになる。司馬昭の天下を見るまでは。
「俺の死に場所は、ここではない。司馬子上の治する、泰平の世だ」
 反乱軍の目の前で、賈充は朗々と宣言した。舞投刃を握る両手に力がみなぎる。そうだ、俺は、あいつの、司馬子上の天下を見るまで死ねんのだ。
「知ったことかッ! 司馬家の狗が、喚くんじゃあーー、ガッ、アァ!?」
 敵軍の先頭に立つ男が何事か吠えたが、待ってやる気にもなれず黙って舞投刃を投げつけた。ザシュ、という肉が切れる音と共に肩から血が噴き出す。男はそのままあっけなく倒れ伏した。
 くるくる回って手元に戻ってきた刃のへりについた血や肉油を上着の袖で拭いながら、賈充はそれを眺めていた。
「くだらんな」
 地面に崩れた男は、最早何者でもなかった。ついさっきまで見ていたはずの顔も思い出せない。死んだところで、殺したところで、何の感慨も湧かない。
 筆頭の男が突然にやられた衝撃からか一瞬集団は動きを止めたが、直ぐに怒りに沸き立ち、武器を構え突進してきた。賈充はそれに合わせて舞投刃を投げ、近いものには振るい、斬り倒す。槍ならば切っ先が届く前に投げ斬られ、剣戟は舞うように弾かれた。
 反乱軍、と言えども曹髦がかき集めたなけなしの雑兵どもだ。徒党をなしてはいるが、軍とは呼べない寄せ集め。こちらは一人であるが多勢に無勢とは到底思えなかった。
 文官と名乗れども武勇にも優れる賈充である。文鴦のような猛将相手なら正攻法ではまず勝てないだろうが、一般兵卒ならば手数で圧倒できる。現に、何度目かの肉の感触の後なかなか抜けず、切れ味が落ちたかと思われる頃には、敵の一団を一掃していた。
 手にした己の武器を見れば、べたりと血肉が着いており、軽く振ってもなかなか落ちぬ様子であった。放った一方の刃も刺さったままになっている。引き抜けば、ぼたぼたと血が落ちた。武器がこのようになってしまったのだから、次に囲まれたら、手こずるだろう。
「............この、不逞者が、............悪人めが............まともに、死ねると思うな............」
 まだ生きている者がいたか。賈充は舌打ちをした。時間がないのだ。この話が外に漏れる前に首謀者である帝の元へと急がねばならない。
「今更分かりきったことを言うな、無能が」
 足下の男がお節介なことにそんなことを吐き捨て、ぎょろりとこちらを睨み上げているので、賈充はそのまま頭を蹴り飛ばしてやった。余計なことを言う為だけに生きながらえている、往生際が悪い男が早くあちらへ行けるようにという優しさであった。
「俺は、まともに死ねぬのが天命だ」
 そうしてしまえば、もうどれがさっきの男やら賈充には判別がつかなくなった。どれも同じだ。あのお節介者も、先陣をきって突っ込んできた奴も、変わらない。賈充にとってはさしたる意味を持たないのだ。司馬昭が王になること、それだけが賈充にとって意味のあることであり、唯一の望みである。もし、それが叶ったなら。
「そこでなら、どんな死に様だろうと構わん。本望だ」
 生まれつき人には天命が下っている。賈充は亡き司馬師のようにそれを盲信している訳ではない。むしろ、それは人の手で切り開くものだと考える方である。しかし、賈充はなにをしてもそれを成し遂げる気でいる。それが務めだと思っている。必要とあらば、天命だと言うこともする。
 天で見ている司馬師殿はどう思っているのだろうか。その通りだと不敵に笑っているか。それとも、それはただの独りよがりな願望でしかないと否定するか。少し考えて、賈充は失笑した。馬鹿な話だ。

 


終 

古すぎて文体が違うしタイトルがなかった

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