top of page

​明けのセリヌンティウス

​​(銃独)

 今日も世界は平和じゃない。医療機器販売会社に勤める会社員こと観音坂独歩は、とぼとぼとシンジュク駅の改札脇にある、駅員駐在所に顔を出した。
「ああ、またあなたですか」
「は、ええ。ああ、すみません。すみません。また目の前で終電が出てしまいまして......」
 最後の電車を逃しすぎて駅員に覚えられてしまっている彼は、何度も頭をさげ、入場料を払って駅の構内から退場した。
 百円とちょっと減った電子マネーの残高はどうでもいいが、こんなことをもう何回も繰り返しているのはうんざりだった。独歩はタクシー乗り場まで足を運ぶが、当たり前のように帰宅難民でいっぱいになっていた。
 ああ、神様、そして神宮寺寂雷様。どうして世の中っていうものはこんなにクソッタレなんでしょうか。七日間とかいうクソみじかい時間で世界という複雑怪奇な構造物をつくったからじゃないんですか。不平等、貧困、戦争、そして残業。終電逃した俺がここでため息をついている一方で、上司はおそらくA5ランクの肉を食ってる。そういう世の中にした神様、バカなんじゃないでしょうか。
 きっと神宮寺寂雷先生のつくる世界のほうがもっとちゃんとじっくり時間をかけて、予算もたくさんつかってつくられて、平和な世界になるに違いないだろう。独歩は、いまだに自分の番が来る気配のない行列の端っこでタクシーが発着するのをどんよりとしたまなこで見ていた。
 しかしながら、武器を捨てたら音楽が武器になって、肉体ではなく精神を傷つけあうようになったこの日本国のことがあるからして、誰がどうしようと、みんながしあわせで平和な世界などきっと生まれないだろう。神がどんな人間でも、それこそ神宮寺寂雷であっても、すてきな世界はやってこない。生まれようがない。独歩は平和を目指す寂雷のことを尊敬していたが、そんな冷めた思考も持ち合わせていた。寂雷本人に言ったことはないけれど。
 行列に並び始めていくぶんか経ったが、待てども待てども自分が乗れるタクシーは来そうにもなかった。待っているうちにこれは夜が明けてしまうのではなかろうか、なんて独歩は自嘲する。夜明けは希望の象徴と言われるが、独歩にとっては代わり映えのない一日がまたはじまるだけの絶望の光だった。
 もはや歩いて帰った方がいいのではないか、と思われ、独歩は同居人に連絡をすべく携帯電話をくたびれたスーツのポケットから取り出し、これから歩いて帰る旨のメールを送った。
 すると、同居人の伊弉冉一二三から即座にレスポンスが来て、ぶっそうだから歩いて帰るのは感心しないこと、そして【入間っち】に電話をするべきだということを言ってきた。
 入間っちとかわいらしいあだ名をつけられているのは、ヨコハマ警察組織犯罪対策部巡査部長でMTC(マッド・トリガー・クルー)のメンバーである入間銃兎のことだということは明らかだった。銃兎に連絡をするなど――しかもこんな遅くにだ――あまりにも恐れ多いことだし、そんなことをするくらいだったら多少危険でも歩いて帰った方が心情の点でマシだ、と独歩は思った。
「......歩いてかえろう」
 そう口にだして列から離れた独歩のもとに、またメールが入ってくる。開くのも億劫だ、けれど仕事のメールだったらいけないのでのろのろ携帯電話を開くと、送り主がちょうどくだんの銃兎だったので独歩は慌てた。今どこにいるのか、電話が欲しいという旨の短いメッセージが入っており、青ざめて電話帳を開き相手の電話に発信すればツーコールでスピーカーからよく通る声が聞こえた。
「観音坂さん」
「あ、ああ。入間さん。俺これから歩いて帰るところなので。たぶん一二三が連絡したんですよね、すみません。」
 独歩が聞くと、そうだとこともなげに返されたのでめまいがした。ああ、どうして一二三はあんなにバカなんでしょうか。いや一二三は賢いのだが、どうしてこんなにひとの心の機微が分からないのでしょうか。
「ともかく、観音坂さんのことですから、なにかしら天文学的確率でしか起きえない不可思議な現象のせいで帰れなくなるのは予想がつきます。ちょうど左馬刻の付き合いでこちらに来ているので、拾って差し上げますから甘えておきなさい」
 独歩がぶつぶつと独り言を言っていると、銃兎は業を煮やしたようにそう言った。優しい提案と見せかけて、命令なんだろうな、という強い口調だ。
 出来れば面倒ごとは避けたかったし、大きなお世話だ、と断れるような元気や気概があればーーもしくは自分が車を運転できればーーよかったのだが、そんなものはないしできない独歩は自分の居場所を精も根も尽き果てたという風に告げた。
 

・・
 

「今日は非番だったんです」
 黒塗りの愛車のハンドルを握りしめ、銃兎は言った。独歩は助手席で所在なさげに通勤鞄を抱えて、「そうなんですか」と返す。
 この車を初めて見たとき、ヤクザの乗り物だと思ったっけ。そんなことを考えて、独歩は車の少ない高速自動車道が流れていくのを眺めていた。
「でも、申し訳ないです。こんな遅くに」
「私が伊弉冉さんだったら、そうは言わないでしょう」
「そりゃ、一二三は一二三だから。まあ、あいつも運転できないですけど」
「ならすみませんはよしてくださいよ」
 銃兎は拗ねたように言う。「私たち、友だちでしょう」
「そうなんですか」
「そうですよ」
 きょとんと目を丸くする独歩に、銃兎は呆れたという顔をした。ブゥン、と時速のメーターが上がり、二人が乗った車は前の青いセダンを追い越す。
「この間、イザナミさんと神宮寺先生と、うちの二人と、私たちでボウリング行ったじゃないですか」
「付き合いなのかと......」
「接待と同じにしないでください。友人でもなければそんなことしませんよ」
「そうなんですか」
「そうです」
 2度目のそうです、は強めだった。あれはただのおまけで連れてこられたのかと思っていた独歩は、なんだかばつが悪くなってカバンを持ちかえる。
「ですから。私、身内には優しいほうなので、次こういうことがあったら呼んでくださいよ」
「ええ、でも......。お言葉だけ頂戴しておきます」
 独歩は優しくされるのはあまり得意ではない。むしろ、そうされるとかえって不安になってしまう方だった。銃兎は汚職をしているとはいえ警察官になるようなひとであるから、もともと人の役に立つようなことをしたいタイプなのだろうが、独歩は自分が親切をされるような価値がある人間だとは到底思えなかった。
 ありとあらゆるポジティブな思想を持ち合わせていない独歩は、友情劇を見てもあまりピンとこない。メロスにもセリヌンティウスにも、感情移入ができないからだ。
「頼ってくださいよ」
「迷惑をかけるのは......」
「あのねえ、友人に頼られて嬉しくない人はあまりいませんよ」
「そういうものなんでしょうか」
「そうですよ」
 なんでそうなるのか、独歩にはわからなかった。自分に対する極端な卑下がそうさせた。
一二三と自分だったら、これは相互扶助みたいな関係だからわかるけれども、銃兎はそうではない。
 もし自分があの話の登場人類だとしたら、人を信ずることのできない王だろうと独歩は思った。このくそみたいな世界で、人間のやさしさだとか誠実さを信じるセリヌンティウスが見てみたかった。
 

・・
 

 そんなことをかんがえていると、青白い蛍光灯が過ぎ去り、家の近くまでやって来ていた。
 銃兎は車を脇に止めると、「それでは」と独歩に挨拶をした。「また食事でもしましょう」
「あ、はい。ありがとうございました」
 独歩は頭を下げ、助手席のドアをあけた。 銃兎は満足そうな顔をして笑っていた。
「嬉しそうですね」
「ええ、ええ。あなたに何かをして、礼を言われるのは気分がいい」
「後から、ゆすったりしないでくださいよ」
「や、違うんです。本当に」
 本当に違うんです。銃兎は、そう言って、こう続けた。
「手の届く範囲のことに、手を伸ばせるのが嬉しいんですよ」
 笑う銃兎が言う意味は独歩には分からなかったが、彼が楽しそうだからまあいいかと思って車をおりた。
 車は、日の出に向かって発進する。青白い光が見えており、時計を確認したらもう4時だった。少しは眠れるだろうか。
 独歩は汚職をするセリヌンティウスはどうなんだと思いながら、マンションの自動ドアを潜り抜けた。
 

 

 

 おわり
 

 

あとがき
 ワードパレット21プリンシピオ(明け方・走る・神様)よりリクエスト
 世界はクソでどうしようもないけど手の届く範囲にはやさしくしたいよって話

©2019 by NEEDLE CHOO CHOO.com。Wix.com で作成されました。

bottom of page