トラジックコメディ・トーキョー
(ささどぽ 2019/09/30時点)
「まあえらい出世したもんだね」
国分寺食堂のオバハンが、青椒肉絲を悼めながら言う。
「半ぐれのチンピラだったのに、テレビにもでてるなんて」
さびれた食堂の、今では珍しい通り越して骨董品といえるブラウン管テレビに映っている簓を指差した。
「まだまだ雛壇のにぎやかしやけどね」
「上出来だよ」
銀の細い皿に青椒肉絲を盛って、オバハンは笑う。「まだ食うとる途中なんやけど」
「食べとけ食べとけ。まだ若いんだから、好きでしょウチの青椒肉絲」
「そんなんやけ儲からん」
「儲かる儲からない関係ないよ。どうせ趣味の店だし、サッちゃんが食べたいだけ食べてくれよ」
こんもり盛られた二皿の青椒肉絲を、簓は引き笑いをして見た。これが素直に嬉しかったんはいつぐらいまでやったろか。二年前と変わらない。後戻りしない街のトウキョウで、かわらなさを感じたのはここが初めてだった。
野良犬みたいだね、と初めて店屋に来た簓と当時チームを組んでいた相棒を迎えたオバハンは、飯を食えとランチの青椒肉絲セットを二人にだしたのを覚えている。
イケブクロを拠点にしている間、簓はそこに通った。単純に青椒肉絲の味が好きだったからだ。しかもオバハンは青椒肉絲しか出さなかった。なにもかも雑な店だが、義理と人情という風情が気に入っていた。
「オバハン、もしや他の捕まえとるんじゃなかろうね」
「アハハ」
5回目に来たときから皿が変わり、青椒肉絲は小山のようになった。簓がなんやこれと指摘すれば、国分寺食堂のオバハンは笑って「いいから」と言った。
よくしてくれるだけ、肩身が狭くなる感覚を感じながら、増える青椒肉絲を簓は食っていた。それは愛で人情の味だった。
「サラリーマンが来てくれるんだよ。もうすぐ来る頃だろうけど」
三皿目の青椒肉絲が目の前に置かれた。愛の生む苦しみを前にして、簓は青白い顔で「そうなん」と呟いた。
「申し訳ない申し訳ないって言いながら、モヤシ炒め食べてくんだよね」
「そらあんた、普通のもんは申し訳ないて思うわ。来るたび来るたび増やされりゃ。そのうち来んようになるで」
「そういえば、サッちゃん青いスーツじゃないのね。あれかっこよかったのに」
「話きけやあ」
べらべら喋っていると、チリンチリン、と音がして扉にぶらさがったベルが鳴る音がした。
「独歩くん」
「こんにちは」
赤茶の頭をした黒いスーツの男は、もやしと共食いになりそうなひょろりとしたすがただった。食わせたがりのオバハンが、気に入って飯をよそいそうな、いかにもなくたびれた風体の彼は、簓の横に座って「失礼します」と頭を下げた。
「ああ、俺だけじゃないのか。よかった」
「増やされんの?」
「あ、あ、すいません! 聞こえてた……」
「あのオバハン、きにいったらみんなにやりおる。久々に来てもこれや」
三皿の青椒肉絲をみせれば、独歩と呼ばれた彼は頬の筋肉がひきつったような顔をした。オバハンはモヤシのパックをいそいそと開けている。青年は、今日は少なくて大丈夫です、と言おうとして、いいからいいからと押し負けていた。
チャップリンのコメディ映像のようなその光景を見ていると、トウキョウにもう簓はいないが、すべては順風に回っていて、それらは人情で動いているように思える。
コントの幕が上がるのを感じた。ブラウン管テレビの画面で、簓自身が漫才をやっている。
「ええかげんにせえよ。俺かて“青椒肉絲で死んじゃうどす~!” ってなんのに、このモヤシにやったら破裂してまうわ」
「あんたキョートだっけ?」
「オーサカやけど」
「うっさいカンサイジンはほっといて、独歩くんはモヤシ炒め食いなさいねえ」
「ま~たヒマラヤ山脈みたいに盛りおってこのオバハン!」
あはは、と青年が笑うのと、テレビ番組のガヤが入るのはほとんど同時だった。笑かしたった、と思い、簓は気分がよくなる。
「オオサカの人なんですね」
「せや。ちょっと前はブクロに住んどったけどな。芸人なりとうて、オオサカ行った」
「へえ、すごいな」
「売れんかったときはしんどかったけど、今はテレビにも出るようなって、あ、自分サイン欲しいことない? サイン練習しとんの俺」
「ああ、手帳しか、ないですけど」
「空いとるとこに書かして」
簓はポケットから油性ペンを取り出すと、最近書くことが増えだしたサインを書いた。手帳を返せば、男は代わりに名刺を渡してきくる。
「名刺交換やないで~も~」
「あっえ、すいません」
「なになに、観音坂独歩。営業部門? 陰気なのにようやるわぁ」
「よくいわれます」
簓はポケットに名刺を大事にしまいこむと、ロケが終わったら飲みいこや、と独歩を誘った。どうせトウキョウで会う相手ももういなかった。
独歩は仕事が遅いからとそれを丁重に断り、代わりに簓が出るテレビ番組の時間を聞いた。同居人に録画をしてもらう、とのことだった。
「なるべく見るようにします」
独歩は口にして、メモ書きを手帳に挟んだ。それから山になったモヤシ炒めを大きな口で頬張った。
簓は四皿目が追加されそうな青椒肉絲が炒められる音を聴きながら、絶対やで、と念押しした。
あとがき
なにも起こらん