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葬式で眠るあなたにきれいだと俺が言ってもいいですか

(理独 2019/06/23発行のぴーえぬさんの同人誌に寄稿したものです。死ネタではないです)

 「寝てるみたいね」なんて、死人に言う場面が嫌いだった。死んでるのはわかりきっているのだから、わざわざ寝ているみたい、なんて言う必要はないじゃないか。
 死んだ人間は死んでいて、それ以上でもそれ以下でもない。棺桶のなかの死人は、葬儀屋によって死化粧が施された偽物であって、寝顔なんかじゃない。死に顔はもっと汚くて、つちくれみたいなものだ。そんな嘘だらけの死に顔にむかって『きれい』だなんて、そんなばからしいことを言って涙を流す人間の、無神経さが嫌いだった。
 でもこの人が死んだらこんな顔をする気がする、と、隣で眠る人間のまぶたできらめくまつげを見ながら独歩はそう思った。
 不眠症なのはいつものことで、寝床が変わってもそれが変わるわけではない。理鶯のキャンプ地になっても、同じことだ。今は何時なのか森には時計がないから分からないが、日光を感じないのでまだ夜は明けていないだろうと思われた。
 今まで生きてきて、独歩は自分が人付き合いが上手ではないということを知っていた。だからこの年になって、友人と呼べる人間が増えるだなんて思ってもいなかったし、期待すらしていなかった。だのに、かの人といったらあんまりにも優しくて、こうして独歩が休みの日――ラップバトルで優勝してから少しだけとれるようになったのだ――には、ヨコハマのキャンプに呼んでくれるようになった。
 そうして独歩は、理鶯と友人になった。二十九の男がなにを言っているのかと思われるかもしれないが、独歩は一二三以外に友人と呼べる相手ができてうれしいと思った。そもそも、自分に優しくしてくれる相手のことを好きにならないわけがない。チョコボールの金のエンゼルが当たったようなうれしさだった。
 しかし、一方で、恐ろしくもあった。手に入れるということは、失うかもしれないということだからだ。眠る理鶯を見ながら、独歩は彼の葬式を想った。きっと彼は、この顔できれいに、眠るように死んでいるだろうと、自分が一番嫌いなことを考えて反吐がでそうだった。眠れない夜は鬱屈としたことばかり考えるものだ。
 独歩は、死人にきれいだと言う人間が嫌いだが、死んだ理鶯が花まみれになっているのがきれいじゃなきゃなんなんだとそれを嫌う自分を殴り殺した。人間の感情に一貫性なんか必要ない。クソが。
 それから独歩はぼうっと見ていた。ひたすらに、眠る理鶯を見つめていた。
 外は静かで、だんだん自分のかたちもよくわからなくなって、独歩はただ、この友人のことがすきだ、と考えた。初めて会ったときからやさしい人だと分かっていた。それから仲良くなり、会うのがうれしかった。会話も楽しかったし、食事もよくて、すぐに会わずにはいられなくなった。自分が女だったら、どんなに媚びた女に映っただろうか。きっと嫌な女にちがいなかった。
「......毒島さん、すきです」
 ほぼ、それは無意識に口をついて出た。今が言っておかなければならないタイミングだったのかもしれなかった。ただ、理鶯が死ぬ前に、慕っていると伝えておかなければならないのは確かだった。
 けれども、友人に好きだと言ったことなどほとんど無い(一二三は言わずとも分かってくれるからだ)独歩は、恥ずかしいと思った。アラサーの男がなにをやっているのだと、いやしかし、聞いていないからいいだろうと、そう考えていると、ぱちりと長いまつげにふちどられたまなこがあいた。フランス人形のようなブルーの瞳が独歩を見て、それで。彼はにこりと笑った。
「小官もだ」
 独歩は息を詰まらせた。理鶯は死んだ顔もきれいだが、笑った顔もきれいだった。

 

 おわり

 寄稿させていただいたのになぜか葬式の話を書いた馬鹿です。載せていただきありがとうございました。掲載許可いただいて再掲しています。ちなみに金のエンゼルの確率はインターネットによると小数点以下らしいです。

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