想像妊娠
(寂独 想像妊娠ネタ)
シンジュク中央病院にいつもの診察でやってきた観音坂独歩が、この世の終わりに面したとでもいうような悲壮な顔をして「ご相談があるのですが」と切り出したので、神宮寺寂雷はまた彼がおかしなことを言うに違いない、とピンときて、書き込もうとしていたカルテを一旦机の上に置くと、なんですか、と努めて優しく聞いた。
「今日、同僚の女性社員の方が産休を取ったんです。それで、俺が引き継ぎだったものですから、お大事にしてくださいね、と言ったんですよ。そうしたら、彼女、かんかんに怒って、『男に身重の女の気持ちなんか分かるわけがない。大きなお世話だ』って……。それもこれも、俺が陰気でどうしようもない、他人の気持ちを慮れない社会不適合者だからなんだ……全部俺が悪い、妊娠できない俺が悪い……」
「そりゃあね、独歩くん。妊娠している女性というのは、不安定で気が立ちやすいんだよ。なんでもないことでもかっとなってしまうことはあります。君が悪いということはありません」
寂雷の話を聞きもせず、ぶつぶつと妊娠ってできるのか? したら気持ちが分かるのか? と言い出す独歩に、寂雷はどうしたものかと顎に手を当てて、伸ばした人差し指でほほをとんとんと叩いて考えた。
「あの先生、男って妊娠できたりしないですか?」
遂には大の大人が小学生でも分かるようなことを本気で聞いてくるものだから、寂雷は笑いをかみ殺しながら興味深いね、と口癖をこぼす。彼の同居人もそうだけれど、この観音坂独歩という人間は寂雷をいつまで経っても飽きさせない。
「できません。いくらH歴になったからといって、まだ実用化した例がないことはきみも分かっているはずだろう? そもそも、私たち医者にテクノロジーを売っているのは君のほうなんだからね」
「は、はい。そうでした……」
「まあ、君がしたいというなら、うん。できない訳ではないけれど」
「ほ、本当ですか!」
「したいの? 妊娠」
「はい!」
会話だけ聞かれていればどういう状況なのか、といぶかしく思われ、また下世話な妄想をされそうなことも、今の彼に全く思考がおよばないらしい。元気な返事をする独歩に、寂雷はいよいよ面白くなって、どうしようかな、といたずらできるおもちゃを見つけた気分でデスクの上にある自分のヒプノシスマイクを見た。
「ねえ独歩くん、これは一種の催眠と思ってくれていいのだけれど……」
いけないと思っていても、人間やりたくなってしまうことはあるものだ。寂雷は、自分を子犬のように慕う彼がどうしようもなくかわいかった。それこそ、とって食ってしまいたいくらいに。
手中の珠というべきものが、まるで自分の子を妊娠したいのだと言うようにものを話すなんていうことがあるならば、もはや食わぬは一生の恥であると寂雷には思われた。
・・・
「はあい、俺っちひふみんでっすっす~。あ、センセ? 独歩ちんの診察終わった感じ? はいはい、今日は仕事ないんでちょうど飯つくろうかなって冷蔵庫見てるトコなんすけど~。……え、どっぽりんにすっぱいもの? ……いいけど、なんかあったんすか? あ、はいはいニンシンね~……妊娠、妊娠!?」
ガタン、と独歩と同居しているアパートのダイニングで冷蔵庫を物色していた伊弉冉一二三は、電話越しに寂雷の発した「妊娠」という言葉に手に持っていたバルサミコ酢をあやうく取り落とすところだった。
「いや、それが、はい……。ま~~~た独歩はあ……。それで、先生の子を? え、それってホントにご懐妊しちゃってるやっすか!? え、俺っち結婚式のスピーチとか考えとくべき? つーかセンセだめっすよデキ婚って~……。あ、はい、あ~~、暗示ね。俺のホストモードみたいな。へえ~お嫁さんモードかあ。なんちって」
ふんふん、と相づちをうちながら、一二三は肩に掛かったエプロンの紐がずれ落ちていくような感覚に襲われていた。幼馴染がクソマジメすぎて頭のネジが1000本くらい抜けているのは知っていたが、ついにそんなことをしてしまうなんて、一二三には想像もつかないことだった。それがしかも懇意にしているお医者先生との子どもを、想像上でも妊娠してしまうなど、呆れが三周くらい回って面白くなってしまう。
「センセもなにやってんすか~。面白そうだからってまたそういうことしたんでしょ。ひふみん意外と賢いんすからね、独歩ちんと違ってえ。はいはい、センセも責任とって独歩ちんをもらってあげてくださいね~。あ、もらって良いのかい? って本気なんかノリなんかはっきりしてくださいよもう。催眠かけてる時点でうちの独歩ちんはあげません! きちんと告ってからにしてくださ~い。はい、はい切りまあす。解けるまでごゆっくりい。グレープフルーツでも持って行きますんで。あ、おにぎり? りょ~」
スマートフォンの通話ボタンを押して通話を切ると、一二三はでかでかとため息をついて、また面倒なことになったなあ、とへなへなと座り込んだ。
・・・
今日洗面器に三回目のつわりをした独歩は、もとから不健康そうな顔つきだったのを、いっそう青白くして、「先生、しんどいです」と座りこんで腹をおさえる。寂雷はその背中をなでさすりながら、「大丈夫だよ、私がついているからね」となだめる。
「しばらくは入院して、仕事はお休みしましょう。ナースコールを押せば私が行きますからね。それに、つわりがひどいのは生後12週間くらいまでですから、それまでは暖かい物をさけて、冷たいものを出します。一二三くんも、来てくれるよ」
「はい。先生の子に障ったらいませんから、仕事は休みます。男で産休はとれないので、どうしたものか」
うつむいて、素直に仕事を休むことを考える独歩に、仕事より自分の子のことを想像上であったっとしても優先してもらえていることに寂雷はよろこんだ。てっきり、彼は仕事が一番大事で、それ以外は二の次といったふうであったので、仕事に行きたがると寂雷は思っていたものだからこれはうれしい誤算だった。
大事そうにぺたんこの腹をさすり、そこになにもないとしても、ないものを見て慈しむ彼のすがたはどうにもかわいい、と寂雷は笑む。
「私が連絡しておきます。説明は難しいですが、病気でいいでしょう。父親だからね、これくらいは私もしますよ」
「ありがとうございます」
「つわりには水ではなく氷がいいようだから、もらってきました。なめておきなさい」
「はい、先生」
看護士からもらってきた氷をビニール袋から取り出し、寂雷は独歩に与える。もはや体力がないのか、されるがままにてづから氷を口にするのも、寂雷の支配欲というものを充分に満たした。
カリカリ、と音を立てて口の中の氷をなめしゃぶる独歩をなでてやれば、うれしそうにするので、寂雷はもうこれが本当に自分の子供を妊娠していて、責任をとれればいいのになあと詮無きことを思ってしまうのだった。
「先生似だといいですね、名前は一二三につけてもらって、それで……。男の子か、女の子か、エコーで見えるんでしょうか。この時代だと、女の子のほうが生きやすいですけど、一二三が怖がるかなあ……」
このままもらってしまったら、一二三くんはおこるだろうか、と寂雷は顎に手をやった。
あとがき
リクエスト:寂独で想像妊娠でした。よいこでもよめるようにしたくて、ヒプノシスマイクらしい解決法をと思ってこうしました。先生はけっこう内心はスケベな男だと思います。