夢のあとさき
(盧独 ディビジョンバトル期間)
今も夢に見る。ナンバグランド花月のステージで、簓と二人で前座をやっていた頃。ネタを考えるのはだいたい簓で、俺が台本をつくることもあった。
練習ではいつも完璧な漫才を、本番でとちってしまう俺はいつも彼の足手まといで、それでもアドリブで切り抜けて笑いがとれたときは自分が物語の主人公という気さえした。
しかしながら、そんなぎりぎりで首が回るほどお笑いの世界というのはやさしくないし、俺自身もこのままでいけるだなんて思えるくらいにアホじゃなかった。
せめてアホだったらよかったのにな、と、そう言って簓に最後通牒を突きつけた俺は、大学のときにとっていた教員免許をつかって、学校の教師になっていた。
自分の夢は叶わなかったけれど、この世のだれかの夢を後押しできるような存在になりたかった、という自分勝手なエゴで就職してからもう数年。お笑い芸人の躑躅森盧笙は死んだけれど、教師となってこどもたちの「なりたい」を応援するのが生きがいだった。それでいいと想っていたし、一生このまま死んでいくのも本望だと想っていた。
テレビで賞をとって笑顔でトロフィを受け取る簓の顔を見て、その隣に立っていたはずの自分の姿を想像することももうない。諦めは終わりなんかじゃなくて、次のステージへと移る一歩なのだと、そう心のそこから信じて過ごしていた。
「なに見とるんやおどれは」
「あ、あはは。盧生さん。お邪魔してます」
トウキョウでバトルが始まって、毎回オオサカから行くわけにもいかない俺たちは、中央区に支給されたブンキョウクのマンションにそれぞれ仮で住んでいた。学生がおおく、治安もそこそこ良いとされるここに住めと言われたとき、あとから莫大な金額を要求されるに違いないと思ったが、どうもこうもなんとおかしなことに、税金を使って家賃をまかなうらしい。
教員は休職というわけにはいかないから、トウキョウの学校に転勤ということになった。芸能人の簓は関係なく、方々にロケに行ったりしているらしい。もう一人のほうはようとして行方が知れない。
変わったことといえば、終電を逃したサラリーマンを拾って合鍵をやってから、そいつが勝手にやってきて、居座るようになったことだった。
最初は借りてきた猫の様だったのに、最近ではここから出勤できるように替えのスーツをおいていく始末だ。取引先の大学病院と近いのだというここで何日も寝起きしすぎて、相方の――なんと言えばいいのかよく分からないが、ふたりそろうと芸人のようだから――ホストがかちこんできて、「この泥棒猫!」と時代錯誤な罵倒を受けたのも古い話ではない。
「あんなあ観音坂さん。ここは休憩所とちゃいますよ」
「ご休憩します?」
「まあたそういうこと言って年下をからかったらあきません。いややわもう。俺があんた好きやって分かってからいつもこうや」
観音坂さんは、隈の濃い目を細めて、「抱いたくせによくいう」とだけ言って、ソファに座ってまたテレビのモニタを見た。
「お笑い芸人のときの盧生さんのDVDがあったので、勝手に見ちゃいました」
「見んなやはずかしい」
「いいコンビだったのに」
「簓がカバーしとってくれたからです」
画面の向こうの盧生は、まだいまより少し若くて、夢を見ていた。とっとくのやめときゃよかったな、と思いつつ、隣に腰を下ろす。
「もうしないんですね」
「教師やから。公務員は副業禁止です」
「そう言って。零さんに聞きましたよ。見事だまされてたって」
「くっそあのおっさん、あとでしばいたる!」
「今のご時世で右ストレートとはやりますね」
「零!!!!!!!!!! ぜってえゆるさへん、ほんまあかんあいつ一回あの髭全そりしたるわ」
観音坂さんはけらけら笑って、リモコンを手に取ると録画されたバラエティ番組の再生を止めた。
「今もまたああしたいとか、思わないんですか?」
観音坂さんが、控えめに口にしたその質問は、もう何回もさまざまな人から無遠慮に聞かれるものだったからなんてことはなかった。
「今は教師が天職やと思ってます。それに、お笑いやのうても、簓と組めてまたやれるっちゅうんやから、それでええんです」
「ふうん」
「生徒が夢追いかけとるの応援しょうれば充分!」
パン、と俺は膝を叩いて、また立ち上がる。観音坂さんはあいたスペースにスーツのままごろんとだらしなく寝転んで、俺を見上げた。口からちらりとのぞく赤い舌や、緩んだネクタイの隙間から見える鎖骨が目に毒だった。
「……自分のこと好きな男の前で、ようそんなカッコできますね」
「だって、先生、ものわかりが良すぎる。バトルで手抜いたら怒りますからね」
「優勝はうちです。勝ったらちゃんと告白するって決めとるんやけ、そんな風に誘わんといてください」
「その夢忘れないで追いかけてくださいね」
観音坂さんは、いつかの俺のまねのような台詞を言った。
あとがき
手慣らし