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​自然光を入れるな

​​(空独 ドラパ後)

  もう朝が来たのかと思った。
 まだ夜のとばりが明けぬシンジュクに、焼けた空の色をした毬栗頭がひょこひょこと顔を出す。
 今日も定時にあがれずくたくたになった観音坂独歩は面倒を避けて雑踏に紛れ逃げ出したけれども、目ざとい少年はこの深夜にばかでかい声で「おい!」と呼び止めた。
「逃げんじゃねえよ」
「ひ、いや、なんのことだか……」
 ドスドスと音がしそうなほどに人波をかき分けて独歩のところまでやってきた小型タンクは、歯をむき出しにして独歩を見上げた。まわりにはまるでヤンキーとカツアゲされるサラリーマンのようにうつっていることだろうと独歩には思われる。
「まー、テメェが拙僧から逃げても、相方のほうに行くけどな」
「いや、勘弁してくれよ。もう警察に調書をとられるのは御免被るし、一二三にもお客さんにも迷惑になる……」
「じゃあ、相手するが懸命だぜ。観音坂独歩よォ」
 そのまま腕を引かれ、独歩はどうしようもなくなって「もうラップはしない」と言って苦し紛れにずれかかったショルダーバッグを直した。
 
:::

 メシを食っていないと言うので、独歩はとりあえずシンジュク駅併設の立ち食い蕎麦屋の券売機まで連れていき、おごってやるから好きなものをと選ばせた。
 似てもいない子供を連れているので誘拐だのなんだの言われやしないかと戦々恐々としていたが、他人に興味のない帰宅を急ぐ衆人は通りすぎていくのみだった。
 俺も帰りたい、と独歩が細々とたぬき蕎麦をすすっている横で、ハムスターかなにかのように海老天を頬張ってムシャムシャと食べると「うめえなこれ」と少年は言った。
「ならよかった。食ったら帰れよ、俺も暇じゃない。夜だし、俺も帰って寝るし」
「つったって、もう新幹線ねえしな」
「は?」
 あまりのことに独歩は割り箸を取り落とした。新幹線? このガキ、どっから来てんだよ。
 あからさまに顔をしかめた独歩を見てどうやら承知していないようだと気づいた彼は、いや言っただろ、と続けた。
「拙僧らはナゴヤ代表だって。聞いてなかったのか」
「いや、言ってたか? っていうか君ナゴヤって、遠くないか」
「だから困ってんじゃねえか。新幹線ねえし、深夜バスは満員御礼。帰れなくてなあ」
「そ、それは御愁傷様だな」
 御愁傷様というか、それは無計画すぎるだろと突っ込みたい気持ちになりながら、独歩はとんだお荷物を抱えてしまったと脱力してスープを飲んだ。
「でだ。拙僧としては野宿もまあやぶさかではないんだが、知り合いに出会ったとなっちゃあこりゃもう頼るしかねえよな」
「君と知り合いになった覚えないんだけどな。第一、名前も知らん」
「合縁奇縁ってありがたい御言葉があるだろうが。それに名前は言っただろ」
「あの状況でちゃんと聞いてると思うほうがおかしいって」
 さすがに聞いていない自分が悪いっていうことはないだろう、ないよな? 独歩は自問自答する。
「波羅夷空却」
「なに?」
「名前だろ。流れとしては」
「変わった名前だな」
「菩薩様の名前頂いてるテメェにいわれたかねぇよ」
 ありがてえ苗字じゃねえか、と言い、彼はスカジャンのポケットから数珠を取り出して「ごちそうさんでした」と拝んだ。

 

:::

 

 店を出てしばらくしたところで、そういえば、と思い出して独歩は空却に聞いた。
「泊めるのは別に構わないんだが。あの、もう一人の背の高い方はどうしたんだ?」
 あっちの方は話が通じそうだったのにな、と片目を隠したロングヘアーの少年を独歩は思い出す。すると、空却はあっけらかんとして、
「あいつなら昼のうちに帰りやがった」
 と言った。
「君も帰っとけよ、そこは」
 呆れ返った独歩は額に手を当てる。しかし一度乗った船からおりることが出来るほど非情にもなれず、駅のホームまで行くと携帯電話を出して同居人にメッセージを送った。人好きな彼が嫌がるということはないだろうから、とりあえずの断りといったところだ。
 空却がなにごとかと見てくるので、「あいつだよ、一二三」と独歩は言う。
「あの、GIGOLOだよ。同居してるんだ。幼馴染で」
「へえ。神仏習合みたいだな」
「そういう感想を言うのは君がはじめてだ」
「そんでもって麻天狼を倒すのも、拙僧だぜ」
 ヒヒ、と笑う空却はどうにも扱いづらい、と歯にものがはさまったように独歩はもごもごとまごついた。独歩はそもそも、侮られることには生まれたときから慣れていたけれども、こうしてライバル視されるのは不慣れで居心地が悪く感じる。俺なんかの背中に見る夢はないぞ、と言ってしまいたくなる。
「君らに当たる前に負けたらすまん。俺のせいで負けるだろうし……」
「テメエのお陰で勝ったってのに、何言うんだよ」
「は?」
「最終戦、どう考えても二人抜きしなかったら負けてたろ。勝ち筋を作ったって点ではどうかんがえてもMVPは独歩、テメエだぞ」
 そこで電車が滑りこむように、ホームに止まる。独歩は一言もそれに返す言葉なく、人の行列におされるように車内に乗り込んだ。日差しから逃げて排水溝に潜り込むドブネズミみたいに。

 

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