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クローゼットは祖国にない

(理独 銃兎視点)

「はは、」
 乾いた笑いが、狭い部屋から響いた。俺は知らないふりをして、ドアにもたれかかったまま、スーツのポケットからたばこをとりだして、火をつけた。起こすな、のボードをかけてやっているのに、バレたらどうすんだ、としかめっ面で、ふう、と煙を吐く。
 理鶯が上陸作戦の任期を終えてアフガンから帰ってきたのはつい最近のことだ。あんなによくしてやっていた軍自体に軍人の肩書きを任期の終了なんていうもので奪われたものだから、こんな皮肉な話はない。平和な日本に帰ってきた理鶯は、「小官は、どう生きたらいいだろう」と言った。
 軍を復活させた英雄であるのに、軍に見放された男は、このちっぽけでくだらねえ島国で、すっかり居場所に困ってしまったようだった。そりゃそうだ。理鶯はフツウじゃない。料理の腕とか、サバイバル生活をしていただとか、そういうわかりやすいもんじゃなくて、もっと、祖国日本からでたことがねえやつには到底わかりはしない点でだ。
 マリンブルーの目をにごらせて、勇敢さや忠誠心をもてあました理鶯は、ほかの多くの退役軍人と同じように、再就職施設に入れられたが、うまくいっていないのは明白だった。ビジネスをしろだって? あのお人好しの理鶯に? 担当職員の言い分には、俺もついつい鼻で笑ってしまった。
 左馬刻は自分の組に入れたがっていたようだったが、俺はあいつが裏の世界で生きていけるとも思えず反対した。ふてくされた左馬刻の野郎が俺の革靴を踏んで、傷物にしやがったのは記憶に新しい。
 再就職施設から引き取って、左馬刻の息のかかっている退役軍人用のグループホームに入れて遣ってからからしばらくは、焦燥しきった理鶯の様子から、陸で帰りを待っていただろう恋人――観音坂さん――に伝えるかどうか、俺は迷って、結局教えてしまうことにした。隠したって特に利益があるわけでもなし。
 彼らが語り合いはじめてから、何分たっただろうか。あんま経ってはいねえだろうな、とぼんやりと思う。あいつらはどちらもそんなにしゃべる方じゃないからだ。短くなったたばこを、携帯灰皿に入れてもみ消す。
「理鶯、観音坂さん。外に聞こえますよ」
 グループホームの薄い扉を開けて、中をのぞき見れば、理鶯が観音坂さんの上着を羽織って座っていた。黒い安物のスーツは、理鶯の広い肩にひっかかっているだけで、風が吹けば飛びそうだ、と思う。
「あ、すみません。でも、見てください、入間さん。似合わないですよね」
「そうですね、こんな営業はいませんね。理鶯、職業訓練所では問題児だったらしいですからねえ」
「ですよね。理鶯さんが、会社につとめるだなんて、俺も想像できませんから」
 けらけらと笑って、観音坂さんは、首から下がっている社員証まで理鶯の首にかける。なんちゃってビジネスマンの完成だ。なにを思ってそうしているかが苦いほどに分かって、俺は舌打ちをする。
「にあってないなあ。理鶯さん。似合ってない。ほんとに」
 繰り返す言葉が痛々しく感じ、しかしどう言って良いものやらわからずに、理鶯で遊ぶのもほどほどにしてあげてくださいよ、とだけ俺は言った。遊んでいるんじゃないことは当たり前に分かっていたのだが。
「小官はそんなに似合わないだろうか?」
「いいえ、理鶯。そういう話じゃないんですよ」
 お前に祖国の平和がにあわねえっつう話だ。日本国に蔓延する格差と無関心と平和の象徴みたいな人間を愛しちまったくせによ。そんなことが言えるはずもなく、どうしたらこのかわいそうな知人たちが幸福になれるかなんてらしくないことを考えて、またヤニが吸いたくなって部屋の外に出た。
「クソ、もうカラじゃねえか」
 イライラするからいっそもう、外から鍵かけちまおうかなァ、なんて俺はぐしゃとメビウスの空き箱を握りつぶした。

 

入間さんの視点がむずかしい

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