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絶対に誕生日を怪盗と過ごしたりなんかしない

(時間軸不明)

 その日の朝はいつもどおりで、事務所の来客用カウチソファで眠りこけていたバロワは目覚めると、ううんとのびをして壁に掛かった時計(少し傾いている)を見た。
 朝食の時間であった。
 バロワはソファから起き上がると、寝ぼけまなこで食料を探した。卵があったのでひっつかみ、火をつけた炉にフライパンを乗せて油をしくと器用に割り入れた。目玉焼きだ。
 じゅうじゅうと音をたてている卵の面倒をみながら、横目でバスケットの中の麦パンを捉えて空いた手で二、三個それを取った。
 そのままひとつをかじりながら、良い具合に焼けてきた目玉焼きをディッシュに乗せる、塩をふりかけて、フォークでぶすりと一刺しすると、そのままぺろりとたいらげた。手にあった麦パンもいつの間にやら消えている。
 そうして朝食をすませたバロワは、なにげなく目にとめたカレンダーの日付にぎょっとする。
「なんだ! 今日は俺の誕生日じゃないか!」
 しんとした部屋に、バロワの大声が響いた。
 彼はすっかり今日が自分の誕生日であることを忘れていた。ずいぶんと前からこの日のことは懸案事項として頭に置いておいたのに、肝心の当日になってそのことを忘れるなんて!
 やはりバロワの脳というのは、頭脳戦向きの『灰色の脳細胞』とはほど遠いようである。
 普通、バロワほどの年になれば誕生日など誰が祝うこともなし、どうでもいいものと成り果ててしまっていることがほとんどであって、それはバロワとて同じであった。
 しかし、今回はちょっとばかり事情が違うのである。
 というのも、シャノワールを追い続けてもう数年、自分の誕生日はことごとくやつと過ごすハメになっているからだ。
 それは絶好の捕まえるチャンスではないだろうか? と誰しも思うだろうが、最近のバロワというものは、怪盗に借りがあることもあって、その美学というものに毒されてしまっている。
 つまり、予告状を出していないシャノワールはただのヒューマンの青年『シャノワール』であって、『怪盗』ではないのだから捕まえられない、ということであった。
 これはどうも詭弁のように思えるが、シャノワールが『怪盗シャノワール』であることを証明するには予告状がなければならないのはたしかだった。(それはシャノワールが予告を出さない盗みをけしてしない、という事実が根拠である)
 ああ。何がかなしくってあんなヤツと二人きり誕生日を過ごさなければならないのだろう! 
 バロワは憤慨した。今年こそヤツとすごすのだけはごめんだ。
「しかし、君の希望はすぐに潰える。戸締まりはきちんとしておくべきだね、名探偵」
「うわああああ!!!」
 いかにしてヤツを出し抜かん、と物思いにふけっていたバロワの背中を、すましたテノールがノックした。
 驚いたバロワは、大声をあげて手にしていた何個目かの麦パンを背後の人物に投げつけた。
「おや、朝食かい。持てなしはありがたい」
 しかし、いとも簡単にそれをキャッチすると、金髪のはねっけにシルクハットをかぶった美青年はこともなげに麦パンを口にした。
「なっ、俺の食べかけだぞ!」
「おや、そうだったのか。それは悪いことしてしまったね。返却しよう」
「いらん。貴様が口にしたものなんぞ食えるか」
「では、ありがたく君からのもてなしをいただこう」
 シャノワールは何がうれしいのか、にこりと笑って麦パンを食べた。
 ここに、現在休暇中にサーヤがいたのなら、「先生、それは危険です!」と注意してくれただろうが、(サーヤはバロワにとって優秀な助手であると同時に、バロワは気づいてはいまいが、彼を守る騎士でもあった)いないのだから仕方がなかった。


・・


 シャノワールはパンを食べ終わると、マントとシルクハット、モノクルを外して幾分ラフな格好になった。
 本当に『怪盗』として来たわけではないのだと思い知らされ、バロワは所在なさげにうろうろと犬のように徘徊したあと、もとのカウチソファにどすんと座った。むぎゅうと今朝枕にしていたサーヤお手製のクワノコくんクッションが潰れる。
「帰っ」
「帰らないのはわかっているだろう?」
 帰ってくれという言葉すらも言わせてもらえず、バロワは「あ~~~~~」とうめいて頭をかきむしると、
「知らん! もういい。祝いたきゃ祝え! ハッピーバースデー名探偵バロワ!」
 推理放棄ならぬ思考放棄した彼は、自暴自棄になっってカウチにごろんと転がった。
 完全にふて寝の姿勢だった。
「うん、そうだね。そうさせてもらおう」
 シャノワールは、バロワのそんな子度もっぽい仕草に微笑みを浮かべて、そばのダイニングチェアに座った。
「名探偵。いや、今の私は怪盗ではないわけだから、言い直そう。バロワ、誕生日おめでとう。私は君がこの空に生まれ落ちてくれたことを感謝しているよ。親愛なる隣人」
 やたらと優しい声で紡がれるそれには嘘はない。
 そもそも、シャノワールは本業とはまた別にタチの悪い悪戯をバロワに対して頻繁にする(それは本業よりもおおいのではないか、とバロワにさえも思われるほどであった)が、嘘といえる嘘をつくことはしなかった。人を傷つけることはしないやつだ、とバロワは知っている。
 だから、これも嘘ではないのだろう。怪盗のくせして、追いかけ逮捕しようとしているバロワのことを真実「隣人」と思っているのだ。
 だからイヤだったんだ! とバロワはクワノコくんまくらを引っ張りだし、ぎゅうと抱いてぶすくれる。
 ただのヒューマンとして会いに来るシャノワールを不可抗力で出迎えるたび、妙にしっくりときてしまう居心地のよさのようなものを感じてしまって、嫌なのだ。
 探偵と怪盗。追うものと追われるもの。だというのに、一緒にいるとなぜかあるべきものがあるべきところに収まっているような感覚を覚える。
「宿敵に優しくされても、俺はひとつも嬉しくない」
 バロワは、だだをこねる子のような口調で言った。
 開けては鳴らないパンドラの箱が、手の中にあって、それを怪盗に促されるまま開けてしまえば取り返しのつかないことになる、という本能的危機感がバロワにはあった。
 シャノワールはそんなバロワを何が面白いのか楽しげに見ている。
 嬉しくない、と言われても屁でもないといったふううであった。
「君が嬉しくなくても、私がそうしたいのだよ。さて、プレゼントだ。受け取りたまえ」
「ど~~~~~~せろくなもんじゃないんだろう。受け取るかそんなもん」
「では、お祝いにキスを」
「あ~~~~~~うれしいなあ!! プレゼント!」
「冗談だよ。バロワ」
「冗談ならもっとマシなのをだなあ......」
 バロワはシャノワールからリボンのかかった箱を受け取ると、遠慮も警戒もなしに開けた。
「どわああああ!!」
 すると、びよんとパンチングマシーンが出てきて、バロワの顔面に直撃。
 べふっ、というカエルが潰れたような声とともにバロワはカウチに再びひっくりかえった。
「ア、ハハハハハハ! やはり君は最高だ!」
「シャノワァァァァルッ!!!!」
 シャノワールの高らかな笑い声と、バロワの怒声が事務所にひびく。
 そして、それに紛れてハラリと一枚のカードが、それに伴って地面に落ちた。
 言わずとも、それが何かバロワにはわかった。
「貴様ッ」
「そう、誕生日プレゼントはその予告状。とっておきの謎とトリックを用意して、君を迎え撃とう! 名探偵! 夜まで追いかけっこを楽しもうじゃないか!」
「くそっ、この野郎! 今すぐにとっ捕まえてやる!」
 バロワが慌てて飛びかかると、いつの間にかすっかりシャノワールは消えてしまった。
 チクショウ、とバロワは悪態をつく。
 日が高く昇ってゆく。一日の始まりだ。バロワは勇み足で支度を始め、事務所を飛び出した。プレゼントの箱は、ぽいとゴミ箱に捨てられた。
 だから、その箱のすみに、キラリとひかる指輪があったことなんて、今後誰も気づくことはなかった。それを入れた張本人以外は。

 

 

 

 

 おわり

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