DEADSTOCK
(コルオキ)
コルサに連れてこられた展覧会に、アオキはそうそうついていけない、という気持ちになっていた。
学生時代、美術の成績などよかったためしがないアオキは、絵画や彫刻の良さなどわからない。しかも恐ろしいことに抽象画の展覧会であったので、なにがなにやらさっぱりだ。
「ハッサクさんを誘えばよかったのに、なんで自分なんですか……」
「ワタシだって、あの人を誘いたかったのだ。でも、空いていたのがキサマしかいなかったのだから仕方ないだろう」
つんとした態度で、コルサは言う。隣のコルサが楽しそうにふむふむと巨匠の作品を眺めている中、ぼうっとその横顔ばかりを見ているしかないアオキが思うに、自分が芸術を楽しむ素養がないことを裏切りに感じているのではないか。そういう態度だった。
「そもそもキサマは、きちんと絵を見ているのか。寝ているんじゃあないのか」
眠気を催しているのを看破されたアオキは、相変わらずの無表情で「そんなことないですよ」と言い訳をした。
「学生時代、美術なんてうまく評価されたためしがない平々凡々な人生なものですから……」
「フン、言い訳に過ぎないな。人間生まれたならだれしも美術を楽しむ素養がある」
「そんなものなんですかね」
抽象的な画面を見て、何が書いてあるのかとキャプションを見てもよくわからないと首をかしげるばかりのアオキには、そうは思えなかった。でも、コルサが楽しそうにしているなら別にどうだっていいか、という気持ちはあった。この躁うつばりに両極端な態度を取るコルサの機嫌がいいならそれに越したことはない、とアオキは思った。
「ああでも、これは好きですね」
二人は静かに美術館を回った。そもそも場所が場所であるのと、コルサもアオキも多弁なほうではないというのが理由だった。そこで、アオキは一つのちいさなポストカード大の絵画の前で足を止め、コルサに言った。
アオキにはやはりなにが描かれているのかさっぱりわからないが、白い画面に描かれている不定形のものがテイクアウトの袋に見えたので、腹が減ってしまった、というのがそのわけで、特になにが響いたというわけではなかった。アオキのなんとなしの発言を受けたコルサは、その絵の前で、しばらくだんまりをしていた。
「ああ、キサマはそれが好きなのか……」
そのキャプションには「DEADSTOCK コルサ」とかかれていた。偶然、ほんとうにただの偶然だ。良い作品など死ぬほどある世の中で、この凡庸を立体物にしたようなアオキが選んだのが自分の作品であることがコルサは喜ばしいとともに、ひどく憎らしく、なにもわかっていないくせに、と叫んでやりそうになった。ここが美術館でなく、アトリエであったなら。
「いや、分かって言ってるわけじゃないんです……、ただ、自分はこれがいいかと……それだけで」
「ああ、良い。ワタシの前でおべっかを使うようなやつではないということは分かっている。アオキ」
「はあ。恐れ入ります」
ぺこり、とお辞儀をするアオキの胸ぐらをつかんでやれれば、コルサはどんなにいいだろうと思った。じゅうぶんアヴァンギャルド(前衛的)な癖をして、平凡だと宣う口をこの唇で縫い付けてやりたいとも。コルサのうちにある、アオキへの想いは憎らしさと愛おしさとで裏腹だ。
分かっているのか、分かっていないのか。この絵がなんなのか、分かって好きだと言っているのか、と問いただしたくもなった。だが、言えやしない。言えたなら、そもそもこんな絵を描いていない。
「まあでも、ワタシの絵がキサマに響いたのは、嬉しく思う」
「そうですか」
「万人の一般化された賞賛より、一人の個人的な感想が嬉しいときだってあるだろう?」
コルサはもう一度、DEADSTOCK(売れ残り)と書かれた自分の絵を見た。若い頃、製作に行き詰まって描いた絵だ。そんならくがきぽっちでも、展示に使われるほどにコルサの名声は高い。だが、それを拾うのが、アオキであることがコルサにとっては重要だった。
ああ、こういうところが好きなのだ、そして、こういうところが憎らしいのだ、とコルサはアオキをじっとりと見つめた。
「やはりキサマはアヴァンギャルドな男よな」
「コルサさんは、誰にもそれを言うような気がするんですけどね」
「失敬な」
そうして、あの絵は展示が終わったらもうどこにも出すまいとコルサは決意し、アオキはただこの後の昼飯のことを思い、美術館を出た。