不在のウェンディ
(帝独 第三回帝独ワンドロワンライお題「ピーター・パンシンドローム」より)
ランランラン、今日の寝床はどこかしら。有栖川帝統は、一張羅のモッズコートのポケットに手を突っ込んで、夜のシブヤの街を歩いていた。
今日はいい日だった。反面、悪い日でもあった。スロットでは勝ったけれども、そのあと行ったカジノのポーカーがダメだった。結局、手持ちの金を増やせないまま、帝統はぷらぷらと一夜を過ごす場所を探していた。
シブヤ駅へたどりつけば、終電を逃したひとびとがぞろぞろとタクシーを呼んでは帰ってゆくのが見えた。
その中の、すこし外れたところで、背中を丸めて下を向いている、派手な頭をしたサラリーマンーーシンジュクの観音坂独歩だーーの姿を視認すると、帝統は手をあげて男に近寄った。「リーマンのオッサ......、観音坂サンじゃん」
「......ああ、有栖川くん。いや、終電を逃して。こっちで営業してたんだけど、どうにも遅くなってしまって......。手際が悪い俺のせいか、まあそうだよな、うん」
声をかければ、濃い隈が目だつネオンの瞳が自虐の色に染まって、ブツブツと自分の世界に入り込んでしまった。
この男の、神様の言うとおりに1から6までの範囲でチマチマサイコロ振って人生ゲームやってるような、そういうじみな生き方は、帝統は好かなかった。
帝統が生きてる、って感じるときは、そういうときじゃない。法律なんか知らない。大人らしさもわからない。そんな自分がいきる道は一か八かのギャンブラー。債務超過でも一発逆転! スロットの女神が微笑む瞬間、その瞬間の生きてる、って感じ!
「ほんと、観音坂サンって、死んでるみてえ」
「俺? まあ、そうかも。生きてるのか、死んでるのか、自分でもわからないからね」
観音坂は、ハハハ、と乾いた笑いを溢した。口もとはひきつっていた。「やめちゃえばいーのに」
帝統が空を見ながら溢せば、観音坂は打って変わって真面目な声色で、「しんどいけど、やるしかないこともあるんだ。大人はね」と返した。
子供扱いされた帝統は、「俺、もう20だぜ」と拗ねるが、観音坂は「まだ20、の間違いだよ」と言った。
「でもさあ、俺、大人になるっていうのが、観音坂サンみたいになるってーのなら、一生こどもでいいかな」
都会の空で光る星を数えながら、帝統は言う。「それでさ、あんたを連れ出して、あそこから2番目の星の角を曲がるだろ」
「ピーター・パン? 映画、なつかしいな」
小さい頃よく見た、という9つ上の男は、「俺じゃちょっと、ウェンディは無理かな」と帝統に言う。
「なんでだよ」
「おとなだから」
大人になったウェンディは、ネバーランドに行けないだろ。と観音坂は言って、帝統のすこし高い肩に頭を預けた。
「帝統くん」
上目遣いで、眠そうな目が帝統をとらえる。
「でも俺は大人だから、宿無しの君をホテルに連れてってあげることができるよ」
暗に示された性的な意味に、帝統はつばをのみこむ。なぜ、こんなただの疲れたサラリーマンなのに、一転、アンニュイな雰囲気だけでいやらしさを感じてしまうのかは、わからない。
「なあ、ギャンブラーのピーター・パン」
おいで、と母親のごとくやさしく言われれば、帝統は逆らえない。
無言で手を取って、二人はシブヤの街の中に消えた。