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​わたし好きになっているのかも

​(SV オモオキ)


「人をすきになるのって、どういう感じなのでしょう」
 オモダカがそう問いかけるので、アオキは困ってぴたりと動作を止めた。聡明なオモダカにわからぬことは自分にもわからぬではないか、と不満げな顔をしていると、オモダカはツカツカと近寄ってきて、「アオキ、分かりますか?」と聞いた。
「……分かるわけがないですよ。もっと他の方に聞いて下さい」
「あら、アオキは恋愛をしたことがないのですか?」
「そんな暇がなかったもので」
 苦手な話題を振られたアオキは、今すぐここから逃げ出したいと「つぎの業務が……」と声を絞り出した。しかし、「ないでしょう?」と上司に書類を奪われ、ぶった切られる。
「アオキ、すぐ逃げるのはよくないくせですよ」
「ああ、すみません。そんなつもりは……」
 どうしよう、とアオキは焦り出す。この場から逃げるすべがどこにもない。オモダカの気まぐれでこんなことになるのは一度や二度ではなく、そのたびにアオキは困らされてきた。
「ねえアオキ、人を好きになってみたくないですか?」
「いや、とくに自分は」
「なってみたいんですよ、私は」
 いやもうそんなの自分に言わないで欲しい、とアオキは思った。だが、重要書類がオモダカに奪われてしまっているゆえ、どこにも行けない。年甲斐もなく泣きそうになりながら、そうですか、とアオキは返す。
「なってみたいんです。アオキ」
「分かりましたから……」
「もう、好きになっているのかも」
「勘弁してください」
 オモダカは、アオキに変なことを言ってからかうのが好きだ、とアオキは思っている。だからこれもいつもの延長線上で、〝そういう意味〟が含まれていないことを了解している。だが、女性と男性と言わず人が苦手なところのあるアオキは、こういう冗談はすかない。はやく帰りたい、と念仏の様に唱えてやり過ごすのみだ。
「ねえアオキ」
 しかし今日のオモダカは執拗だった。いつもなら解放してくれるところで、更に距離を詰めてきた。柔らかなオモダカのからだが、長い彼女の髪が、アオキに密着する。こんなところだれかに見られたくない、とアオキは逃げようとしたが、ごつん、とその頭は壁にぶつかってしまう。
「やめてください、トップ。やめて」
「かわいいですね。怖いんですか、私が」
 上司相手に乱暴もできず、アオキはすっかり萎縮してしまった。オモダカはいっそう楽しそうにして、ネクタイを引っ張った。
「ふふ、アオキ。かわいい。本当にかわいいです。食べてしまいたい」
「自分は食べ物じゃないので、あの、トップ、本当に……」
 なんとか体を離そうと身をよじるアオキに、オモダカはにこりと笑って、ネクタイを引っ張る強さをきつくした。
「好きになるって、かわいいって思うことなのかもしれないですね」
「わかりました、わかったから、トップ。離れてください。お願いです」
「イヤです」
 もうこの職場やめたい、と半分泣き言を言い、アオキは震える声で「書類を返してください」と言った。
「アオキからキスしてくれたら返します」
「辞表を出します……」
 

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