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​チーズケーキ・アイロニー

​​(蘭はる ムーチョの話がすごいある 誕生日ネタ)

 

 

 

 

 ――あの人を、いっそ私の手で殺してあげようと思いました。いずれは殺されるお方にちがいない。またあの人だって、無理に自分を殺させるように仕向けているみたいな様子が、ちらちら見える。私の手で殺してあげる。他人の手で殺させたくはない。あの人を殺して私も死ぬ。(「駆込み訴え」 太宰治 より)

 

 


 
 七月三日が誕生日だって、すすんで誰かに言ったことはなかった。別に隠し立てしていたわけではないが、言うほどのことでもなかったからだ。
「オレは、やっぱチョコケーキかなァ。飽きたんだよいい加減。一度好きだって言ってから竜胆が毎回モンブラン買ってくるもんだから」
 銀座のケーキ屋で、ショーケースを見ながら蘭は春千夜に言った。聞いてもない、聞きたくもないことをペラペラと蘭はよく喋る。春千夜はチーズケーキを見つめながら、それでも、この男にはどうも言いたくなくて「フルーツタルト」と答えた。
「うわ~。〝ぽい〟」
「〝ぽい〟ってなんだよ。オレだって、タルト食っていいだろ。モンブランだって、ショートケーキだって。強面のヤツがクレープ食っててもいいのと同じだ」
「でも、このタルト、チーズ入ってるぽい? けど。三途ってチーズだめなんじゃなかったっけ?」
 本当にめざとい男だ。見透かすようなバイオレットが、春千夜の心の中に踏み込んできて嫌になる。探るような瞳から逃げて、春千夜はケーキ屋を後にした。なにが誕生日ケーキだ。祝う気もないくせして。
「おいおい、主役が逃げてどうすんだよ」
 蘭の声が追いかけてくる。春千夜は、逃げる足を速めた。
 
 ・・・

 誕生日なんてクソみたいな日を、春千夜は一度として笑顔で祝えた日などなかった。それは傷のある顔をかわいそう、もったいないと言われても嬉しくないのとまったく同じ心理だった。普遍的な幸福と、その個々人の幸福は違う。たとえ世間がどれだけ誕生日を祝うべきだと言おうとも、春千夜はちっとも自分の誕生日を嬉しいと思えなかった。
 「お誕生日おめでとう」ノイズ。「今年もいい年になるように」ノイズ。「プレゼントなにがいい?」ノイズ。全部家の窓越しに聞くパトカーのサイレンくらいうるさい雑音。こちとら産まれてきて最悪の気分だっていうのに、なにがおめでとう、なのだ。おまえたちは地獄に落ちても「おめでとうございます!」って言うのか? 春千夜は嫌な気持ちになりながら、いつもそれを聞いていた。
 だから、灰谷蘭が「今月、誕生日だって?」と言ってきたときは、とんでもなく最低の気分だった。知られたくないヤツに知られてしまった。春千夜は舌打ちをする。
「え? 三途誕生日なのか。ウチ来いよ、パーティしようぜ」 
 すかさず、竜胆がそう口を挟む。そもそも竜胆はこの年になってもパーティ好きのアホだ。しかもあいつのやるパーティじゃ女も抱かず飲みもせずDJやってんだから更にアホ。梵天にいなかったらクラブでDJやっていたかったらしい。バカは死ねばいいのに、と春千夜は思った。
 あの、静かに将棋を指していた日々が恋しかった。それを勝手に捨てたのは自分自身だというのに。武藤という男を三途が思い浮かべるとき、三途の中にある少しばかりの良心とか、自分には到底似合わないような青春を恋しがるななにかが胸の中でウジ虫が這いずるようにざわざわと騒いだ。
 きれいな思い出にするには不器用なやりとりばかりだったあの頃が、おぞましくも胸の中で三途に〝人でなし〟と騒ぐのだ。
 悪魔の右腕になるには、人でなしにならなければならないのは当たり前だ。春千夜は騒ぐ気持ち悪い良心を手の中の領収書ごとつぶして言う。
「バカ言うな。誰がテメエらとナカヨク誕生日パーティなんかやらなきゃならなねェんだよ」
 春千夜はハッパをふかしながら、灰谷兄弟を睨み付けた。アヘンは心を落ち着けてくれる。その後の嘔吐のことは知らんぷりだ。
 それでも、「正常」な彼らは春千夜の誕生日を祝いたがった。誕生日に自殺したがる人間の気持ちなんかちっとも分からないんだろうなお前達は、と悪し様に言ってやりたくなった。
「誕生日なんてイベント、利用してうまいもんでも食わないと損だろ? ハル」
「兄ちゃんの言うとおりだぜ。遊んでなんぼでしょ」
 そんなことはない。この男達は、誕生日に絶望する人間の気持ちになったことがないのだ、とまざまざと思い知って、春千夜はいっそう気持ちが悪くなった。まるで、ある日芋虫になってしまった、グレゴール=ザムザみたいな気持ちだ。自分が異質なもののようで、さらに鬱屈として春千夜はアヘンをまた吸った。

・・・

 足早に赤い看板から遠ざかる春千夜を追いかけて、走って蘭がやってくる。その手にはやはりケーキの箱がぶらさがっていた。この年になっても足がはやいまんまなのか、などという感慨と、忌々しいものを持ってきやがって、という苦々しい気持ちが春千夜の体の中をじんわりとむしばんだ。
 子どもでもないのに、なにがケーキだ。子どものころだってケーキを喜べなかった自分だったから、当たり前にケーキを喜べる蘭が憎らしい。俺のセーフハウスで食おうぜ、と蘭はまるで今日が自分の誕生日かのように笑う。春千夜は「嫌だ」としかめっつらでそれに答える。
 だが、そのコージーコーナーと書かれた箱を見て、かつてそれをくれた不器用な男のことを思い出すとどうにも春千夜は本気で断れなかった。チーズケーキが、春千夜をあの頃に呼んでいる。ただ、静かに二人過ごした日々の残響が、春千夜の長い後ろ髪を引いている。
 イヴサンローランのフレグランスが香る部屋に通され、春千夜はいますぐ帰りたい気持ちになりながら、MDMAのカラフルな錠剤をいくつかポケットから取り出して口の中に放り込んだ。これでぶっ飛べば、チーズケーキも、誕生日もなんにも怖くないから。 

 

・・・

 星のまたたきのようなフラッシュ。蘭の顔が歪んで見えて、春千夜はヘラヘラと笑った。全て万全で、すばらしい、なんの問題も無い誕生日だった。さっきまでの陰鬱だった自分にはサヨナラを、そしてハッピーな自分にこんにちは。とにかく,春千夜はいま心地がよかった。

 

・・・

 

「誕生日なのにまたドラッグキメたのかよ。筋金入りだな~」
 呆れた顔をして、蘭は肩をすくめる。
「なあ。蘭。蘭……」
「なんだい、誕生日だってのにヤクキメやがった馬鹿な三途」
「ケーキ。ケーキがな、食べたい」
「嫌だって言ってたじゃん。嫌いなんじゃねえの?」
「アハハ、そんなわけねえだろ。オレはそこのチーズケーキが大好物なんだ……」
「チーズが嫌いなのに?」
 蘭は、ぶつぶつとうわごとのようなことしか喋らなくなった春千夜を見て、なだめるように言葉を吐いた。実際、兄という立場がら、蘭の面倒見は良かった。春千夜はニタニタと傷の残る口の端をつり上げて、蘭に猫の様にすり寄った。普段はつんけんした態度しかとらないくせ、春千夜はこういうときだけ都合が良いことばかりするような男だった。
「嫌いとか、好きとかいう問題じゃ、ないんだ。あの人が、オレにくれたんだ。オレに、自分が好きだからって。オレ、ああ、だって。あんなに優しかった。でも、あの人を殺さないとオレは、右腕になれなくて……」
 蘭は、春千夜がいう「あの人」が誰かすぐに分かった。東京卍會の五番隊隊長だった、デカい男だ。武藤とかいう。
 そんな男のことをまだ引きずっているのか、と蘭はにわかに腹立たしくなり、つまらない気持ちになってしなだれかかる春千夜を突き飛ばした。
「隊長? なんでオレのこと置いていくんですか」
「あのさあ。ハルちゃん。お前が殺したくせに何言ってんの? 俺ってそんなにデカく見える?」
「オレだって、殺したくなかった。でも、そうしないと、だって」
「言い訳がましいんだよ。十代のハナシずっと引きずってさあ~~~~。本当に筋金入りのバカだね」
 蘭は、楽しかった気分もすっかり忘れて冷徹に春千夜を見下ろした。春千夜は、その足に縋ってぶつぶつと何事かを言っているようだった。完全にバッドに入ってしまっている。
 せっかくのケーキも、蘭の心も泣いていた。祝ってやろうなんて思ったのが間違いだったのだ。
 もうなんだかやけくそな気分になってしまって、おもむろに蘭はケーキの箱を机からとると、俯いて泣く春千夜の頭にどさどさとふり落とした。フルーツタルト、チョコケーキ、ショートケーキ、そして、チーズケーキ。ぐしゃ、と音を立てて、きれいだったそれらが春千夜の頭を残骸で汚した。
 春千夜は、は、と顔を上げる。蘭はひときわきれいな笑顔で、春千夜の目の前にころがっていたチーズケーキを、革靴で踏み潰した。
 ぐちゃり、という音。すぐあと、春千夜の絶叫が響いた。 
                                  

 

(終)


 
あとがき
 ファンブック読んで、チーズケーキのハナシがどうしても書きたかった。
 ムーチョと三途の関係性ってすごい複雑で、そこにメスを入れると言うことがどういうことなのか、と悩みました。わたしは三途がムーチョのことを(人として)好きだったと信じたかったので、こういうハナシにしました。
 蘭や竜胆がけっこう年相応というか、ふつうにヤンチャな子だったので、そういう「真っ当な人間」っぽさをだしてあげたかったのもあります。
 誕生日を祝える人、祝えない人、そこの間には溝があるんだなあと思いながら、書きました。ハイブリストシンドローム、とても楽しみで、運営のみなさまに感謝してもしきれないです。

 

(WEBオンリー ハイブリストシンドローム掲載作品)
 

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