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​デュラハン

​​(イザカク 梵天軸)

「第二次世界大戦で日本が負けたとき」
 九井が、パソコンの画面を見つめながらこぼした。そこには口座の一覧が並んでいて、資金洗浄をどうするか考えているようだった。
「第二次世界大戦」
「鶴蝶、まさか知らねえってことはないよな」
「いや、それくらい知ってる。アレだろ、原爆が落ちたやつ」
 たまたま上からの連絡を持ってきた鶴蝶が首をかしげると、九井はとんでもないバカを見る目で鶴蝶を見た。それからため息をついて、もう何時間もパソコンとにらめっこしている三白眼の目元を指で揉む。
「イヌピーもそれくらいしか知らなさそうだったし、年少上がりってのはそういうモンなのか?」
「バカにしてんだろ」
「バカにしてんだよ。まあいい。その戦争で、得したヤツがいたんだ。分かるか?」
 高学歴の九井は、どうもその知識を鶴蝶にひけらかしたい気分のようだった。鶴蝶は素直に室内のソファに座って、犬のように九井の言葉を聞いた。というのも、国の話は生来鶴蝶の関心の的だったからだ。
 もう今は亡き王――イザナと自分の国を持つのが夢だった。二人でどんな国をつくるのか、語り合うのが楽しかった。アメリカ? ロシア? どんな大国にすら負けない国を作ろうと言った。それなら自分は奴隷だってよかった。そばで笑ってくれている、イザナがいさえすれば。
 イザナがいなくなってなお、鶴蝶は「国」と言われるとどうにも弱い。関東事変後に入院していたときは看護士から手渡される朝刊の、国際面だけよんでいた。
「得なんかあったのか? あの戦争に」
「あった。アメリカは戦争を始める前、不景気だった。それが、第二次世界大戦で好景気になったんだよ。だから、アメリカはあの戦争で得をしたってわけ」
 疲れた顔で九井は続けた。
「だから、被害意識のないアメリカはあんなに戦争をしたがるんだ。クソ、アフガンのせいで株価がめちゃくちゃなんだよ……」
 どうも鶴蝶にはわからないところで、九井は行き詰まっているようだった。不良上がりのこの梵天という組織で、資金面を牛耳る九井の言うことはときに難しい。鶴蝶は持ってきた書類を持て余して、数字のならぶそれをただペラペラとめくった。
「鶴蝶、なにしてンの?」
「九井の発作の相手」
「あ~、それ一番ヤなやつじゃん」 
 九井がブツブツと呪文しか喋らなくなったところで事務所に帰ってきた竜胆が、うげえと舌を突き出す。蘭はへらへらと笑っていた。
「今日はなんだって?」
「なんか、アメリカは戦争で得したから、戦争したがるって。あと、アフガニスタンがどうとか言ってた」
「なるほどな~。キマってんなあ」
 蘭はソファに腰かけて、ポケットからたばこを出し、遠慮するそぶりもなくそれに火をつけた。ニコチンとタールでできた煙が部屋に充満するが、文句を言う者はいない。
「でもそれなら、鶴蝶はサラリーマンになってそうなもんだけどね」
「どういうことだ?」
「だって、お前があのとき一番損してたじゃん」
 はじめ、鶴蝶は蘭の言いたいことが分からなかった。自分がサラリーマンなんて、想像もつかないことで、それを急に蘭が言う理由が不明だったからだ。
「大将が死んじゃっただろ。それなのになんでこんなところにいるんだって話」
 蘭の垂れたうろんな目が、鶴蝶の中を覗き込んだ。何故、と聞かれて鶴蝶は答えられない。王はもういない。ずっと一緒に生きていたかった人間が、イザナがいない。なのに、なぜ自分はこんなところで生きているのだろうか。そういう鶴蝶の中の虚ろな部分を蘭は無遠慮に暴いてくる。
「なんでって、なんでって……。俺は」 
 蘭の追及に、鶴蝶は手の温度が失われていくような錯覚を覚えた。竜胆は、それを止めるでもなく、「まるで首なしだ」と言った。イザナを亡くした今の鶴蝶は首がない人間のようで、どこか不安定だ。そう竜胆も便乗した。
「おいバカども、組織の中でイジメやるなボケ!」
 ばかでかい声が響いて、蘭と竜胆の上に拳が落ちた。その背後には春千夜が、眉をつり上げて立っていた。驚きで、鶴蝶は言いかけた言葉を飲み込んだ。
「いじめじゃないです~。鶴蝶くんと遊んでただけです~。な、竜胆」
「そうそう」
「鶴蝶〝で〟だろうが、バカ。こっちは客人待たせてるンだ。お前ら待ちなんだよ」
 春千夜は嫌そうな顔をすると、蘭と竜胆を引きずって出て行った。残された鶴蝶は、なぜ自分がここにいるのかを考えた。この世の中にイザナが居なくて、自分がいる意味がほんの少しでもあるのかを。
「ないなあ」
 なのに、こんなところまで来てしまった。イザナと自分が、笑っていられる王国などどこにもない、こんな暗がりのところまで。ああ、酒が飲みたい。鶴蝶は依然としてパソコンの画面に張り付いている九井のデスクに渡すはずだった書類を置くと、部屋を出た。
 歩きながら、ゆっくりと左腕の入れ墨に触れる。それだけが鶴蝶の慰めだった。
 
    

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