媚びないあなた
(チリオキ)
「ああ、産まれてきてよかったな。と思うことが人生ではなんべんかあるんです」
アオキは、ほかほかと湯気を立てるラーメンを眺めながら、チリにむかってなのかひとりごとなのか解らないくらい小さい声で言った。アオキがボソボソと喋るのはいつものことなので、チリはもう気にしない。
「へえ。アオキさんも、そういうのあるんや。てっきり、つらいばっかりの悲観主義者かと思うとったわ」
「そんなことないですよ。これでも人生楽しいんです」
見た目や態度で、ペシミスティックな人間だと思われがちなアオキだったが、別にチリが言うような人間なわけではないらしかった。チリとアオキは四天王としては知り合ってそこそこの時間が流れているが、プライベートをともにすることは少なかった。パルデア四天王がドライな関係というわけではなく、単純にアオキが忙しすぎるのだ。会社に、ジムに、四天王という労働基準法が泡を吹いて倒れそうなトリプルワークという環境に置かれたアオキは、どうしようもなく休みがなかった。それでいい、というアオキのサラリーマン根性には恐れ入る。
「仕事終わって、こうやってあったかいご飯があって。それだけで自分は産まれてきてよかったと思えるんです」
「いや、なんちゅう簡単な人間なんや、おのれは」
「人間、簡単なほうが良くないですか? 仕事がどんなに激務だって、終わったらあったかいご飯が食べられるっていうことは、なによりの幸福ですよ」
そういって、アオキは割り箸をパキリと割るとはふはふとラーメンをやりはじめた。チリも、伸びないうちにと、アオキに習ってラーメンに箸を入れる。
チャンプルタウンの文化は独特だ。パルデアの都市でありながら、異国のような雰囲気がある。事実、ホウエンやジョウトからの移民が多いという。じっさい、チリもここに来るたび、出身地であるコガネのことを思い出す。だからだろうか、アオキと話していると、どこか故郷に帰ってきたかのような安心感を感じるのは。
「……チリさんは、産まれてきてよかったと思うことはありますか」
しばらく無言で食べていたふたりだったが、ふと、アオキはチリにそんなことを聞いた。
「はは、そんなん毎日やわ。鏡見るたび、この顔に生まれてきてチリちゃん最高に幸福やわ~~っておもっとるで」
性別を超越した美女と称される自分のことが、チリは嫌いではない。だが、産まれてきてよかったと思ったことはあまりない人生だったな、と思う。コガネ出身であることからの人種差別を受けないわけではなかったし、性別を超越した、といっても女扱いされることは多かった。女というジェンダーは、どんなに本人が秀でていようと社会からぞんざいに扱われるようにできている。できてしまっている。
最近の女性運動や、オモダカのお陰で地位が向上したとはいえ、「娘っ子」として扱われないということはない。
「チリさんって、たまに嘘くさいですよね」
ぴきり、とチリの笑顔が凍る。麺を啜り終わったアオキは、うろんな目でチリを見た。その黒々とした大きな目には、ショックを受けた、という顔のチリが映っていた。
「自分、なんなん。メシ誘っといて、ケンカ売るためかいな」
「いや、違うんです。ただ、同じ四天王の自分くらいには、ほんとうのことを言って欲しかったな、と思っただけです……。一応、年上なんで、聞いて欲しいことがあったら聞かせて欲しいって、ただ、まあ。それだけです」
淡々と、アオキは言う。あまりにも不器用すぎやしないか、とチリは思った。言葉も、態度も、なんと不器用な男! 無表情のアオキは、黙ってしまったチリに、「じゃあ、自分はこれで……」と店主に器を返してカウンター席を立ち上がった。
そこで帰るんかい! と突っ込んでやりたかった。チリに言うだけ言って、はいさようならとはずぶとすぎないか。というか、こんなことが言いたいがために、自分を食事に誘ったのか、とそのいじらしさにチリはどうしようもない気持ちになる。
「じゃあ、また。機会ありましたらよろしくおねがいします」
ぺこり、と何も言えずにいるチリにアオキは丁寧なお辞儀をして、ラーメン屋の屋台を去った。その背中を見送りながら、アオキはチリのぶんも払うなんていうことはしなかったな、ということをチリは思った。そして、それが、たったそれだけのことがなんとなしに嬉しくて、頭を抱えてラーメンのスープを見つめた。