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​悪人の見る夢

​​(灰はる 同人誌より再録 R18)


□嫌な夢を見て目が覚めることがある
□夢を見て、恐怖、怒り、寂しさなどの感情が出る
□目が覚めたときに、すぐに意識が戻っている
□朝方に嫌な夢を見ることが多い
□夢から目が覚めた後に、再び寝入ることが難しい

 悪夢障害セルフチェック! と題打たれたチェックリストに全部チェックを入れて、三途はパソコンの画面を睨んだ。睡眠専門医に話してみましょう、という文字が点滅していたが、どう考えてもヤクのせいでしかない自分が睡眠専門医に言われることはひとつしかない。「更生施設にはいりましょう!」だ。
 そんなもの入るわけがないので、三途は舌打ちをしてポケットからたばこを出してコンビニでもらったばかりの百円ライターで火をつけた。ジッポは持っていない。たばこを吸うくらいなら大麻を吸った方が依存性が低いのは科学的に証明されているのに、なんでこの文明大国日本ではアレが合法で大麻が違法なんだか、と常より三途は思っているので、合法であるだけのほとんど薬物同然のたばこというものをどうにも好きになれなかった。
 だからといってべつに嫌煙家というわけでもない。深く五ミリの煙を吸って、ニコチンを脳に行き渡らせるとさっきまでのイヤな気持ちも吐き出す息と一緒くたにどこかへといってくれる気がした。
「ああ、三途。珍しいな、大麻じゃなくてそっち吸ってるの」
「俺だって、いつもハッパばかりってワケじゃない。お前だって、いつも女を抱いてるわけじゃないだろ。蘭」
「男はそんなにだって言ってるだろ。ハル。お前くらい顔がかわいくないと」
 仕事を終えて事務所に帰ってきたばかりの灰谷蘭が、垂れた目を細めて笑った。三途は心底嫌な顔をして、たばこをリノリウムの床に落として踏みにじった。これがアイツの奔放すぎる〝棒〟であったらどんなにいいことか、とわざと強めに。
「傷のある顔をかわいいだなんて、嘘くさいこと言うな」
「そうか? 男は傷がある方がいいって言うだろ?」
「詭弁ばかり言うよな、お前は」
 三途は蘭の言うことを半分も信じていない。体の頭から爪先まで、欺瞞で出来たような男だ。本当のことを言っているかどうかなんて考えるのもおっくうで、それならいっそ全部嘘だと思った方が気が楽だった。
「傷は勲章だ。どんなものであってもさ。ハハ、古くさい?」
「ふん、お前に俺のことなんか少しも分かるわけないのに、分かった口ばかりきく」
「ヘエ。分かって貰いたくないのはお前の方のくせに、俺が悪いみたいに言う」
 蘭は全てを見透かす蛇のような目で三途を見た。それは三途の向こうの、暴かれたくないものまで見るようで恐ろしくなってしまう。目が覚めても、悪夢みたいな現実だ。醒めないならば、現実のほうが悪夢より悪夢なのかもしれない。立ちすくんだ三途に近寄って、蘭はその肩を極めて丁重に抱いた。
「ハル、悪夢でつらいなら薬より俺に頼った方が良い。天国は薬じゃ見れないぜ」
「頼るかバカ」
 三途の背後にある点滅しっぱなしのパソコンに、「お医者様に相談しましょう!」という文字がでかでかと光っている。蘭はそれを見たのだ。三途は蘭を荒っぽく引き剥がすと、素早くパソコンのブラウザを閉じた。夢見が悪いのをバレた相手がよりにもよってコイツかよ、と三途は舌打ちをする。
「お前に頼るくらいなら警察に自首する」
「おお、怖いこと言わないでくれ、マイキーが泣くぜ」
「マイキーはそんなことで泣かない」 
 泣くような人でもない。他人のために流す涙など、生まれつき持たないような人だから。
  
 そう、こんな夢を見た。
 
・・・

「それって、現実なんじゃないの」
 九井が困った顔をして、床に落ちている三途を見た。口座を太らせるだけが脳の、取るに足らない男だ。だが、組織には必要だ。だって、金がなければなにもできない。
「じゃあ、こっちが夢?」
「いや、現実だけど。三途、現実か夢かわかんなくなったらおしまいだぞ」
「夢とか現実とか難しいこと言ってるな、ココは」
 ぬ、とその後ろから、さっぱりとした短髪だが、見覚えのある男が顔を出した。ああこいつ誰だっけ、と考える間に、「イヌピー」と九井が口に出した。それで三途も思い出した。
「乾」
「なんだ? 腹でも減ってるのか」
 体をふらふらと起こした三途に、乾は無遠慮にも肉まんを押しつけた。離脱症状で苦しんでいる相手にあげるものとは到底思えないが、思わず三途は受け取る。まだ暖かい。
「会合で貰ったんだ」
「正確には俺が買ってやったんだけど」
「ココ、いつもありがとうな」
 もぐもぐとでかい肉まんをうまそうに食っている乾に、三途は違和感を覚える。
「乾、お前、バイク屋じゃなかったっけ?」
「バイク屋?」
「いいな、バイク屋。ナナハンキラーに久々に乗りたい」
 三途の記憶では、乾は竜宮寺とD&Dというバイク屋を営んでいるはずだった。だのに、なぜか目の前で〝さも当たり前です〟という顔で立っている。九井も九井だ。そんな髪型だった記憶も無い。ひどい頭痛がして、三途は顔をしかめた。
「蘭は?」
「なんで灰谷兄弟のことがでてくるんだ?」
「イヌピー、こんな薬で頭おかしくなってるヤツにまともに応対すんじゃねえよ。さっきまで会話してたんじゃね? ってハナシ。ラリってる間のことなんか夢か現実かもわからねえもんだ」
「そうなのか」
 なにやら九井と乾が話している。見覚えが全くない二人に、三途はどんどんと怖くなった。無性に、さっきまではなしをしていたはずの蘭に会いたくなって、ポケットからMDMAのパッケージを取り出して錠剤を口にいれた。
「ヨーグレット? 三途、俺にもくれ」
「バカピー、MDMAだって」
 しばしあって、ぐにゃりと視界がゆがむ。すっと頭が冴える感じがして、それから「ああ、これは夢だ」と気がついた。こんな世界はない。こんな、九井にとって〝よすぎる〟世界など。三途は気分が途端に高揚して、「ばかだなあ!」と叫んだ。
「もうラリったのか、三途」
「お前らバカだぜ。こんなんが現実だったら、それこそ夢みたいなハナシだ。現実って言うのは、もっとみんなが少しずつ不幸じゃないとダメだ。お前らもそうじゃなきゃ、おかしいだろ」
「はァ? わけわかんないこと言うんじゃない。イヌピー、こいつほっぽってどっかいくぞ」
「…………大丈夫だ、ほどほどに不幸だからよ」
 三途の狂言に怒った九井に引っ張られるまま、乾は消えた。乾はほどほどに不幸なのか。なんとなくそれが頭に残って、それから三途は激しく脱力した。

 こんな夢も見たのだっけ。

 ・・・

「また、三途はよくわからないことを言うな」
 竜胆は事務所の水槽で泳ぐ熱帯魚を見つめて、言った。梵天にいて三途が話しやすい相手といったら、竜胆か九井、鶴蝶くらいのもので、意地の悪い蘭とはあまり話をしたくないときなどは三途は竜胆を頼った。水槽の照明に照らされた竜胆の紫が、夜のとばりが降りるように三途から嫌な夢を隠した。
「こんなところでするのかよ」
「だって、恐ろしいだろ。変な夢を見た後は、どうしても。怖いんだ。またあっちに行ってしまうかもしれないって思うと、体が動かない。どれが夢か現実かもわからないのに、どうやって立って歩いたらいい? 無理だ。忘れたい。お願いだ、竜胆」
「はいはい」
 ほとんど錯乱状態になりがら三途はたはたと涙を流してが竜胆の足にすがると、竜胆はやさしく笑って腰を曲げ、三途のその顎を上にやってやり、触れるようなキスをした。
「悪い魔法は解けた?」
「魔法だったら解けてたかもな。気障なのは兄の担当だろ、竜胆」
 そのまま三途は事務所のソファベッド(蘭が買った物だ。セックス目当てなのは見当がつく)に寝転がって竜胆に甘えるように手を差し出した。
「薬じゃどうにもならない夜はセックス。そうだろ。相手してくれないなんてことはないよな」
「……準備してある? 無理に突っ込むのは嫌だぞ、俺は」
「挿れなくていいから。気持ちよくしてくれ」
 竜胆はポケットに手を入れてしばし思案していたようだったが、性欲には逆らえない。ため息をついてポケットからコンドームを出し、その封を切った。
「ああ」
 悲しい夜は、いつも竜胆が慰めてくれる。それは本当に彼がその花そのものであるかのようだった。竜胆の花言葉は〝悲しむあなたを愛する〟だという。まともぶっていても、あの灰谷蘭の弟であることには変わりが無いのだ。泣いている三途にひどく興奮している様子の竜胆は、性急に自らの陰茎にゴムをかぶせると、涙をこぼすその顔がよく見えるように三途を仰向けにして、スラックスを脱がした。生白い足が薄暗い部屋に光る。
「素股でいい?」
「いい」
「挟むだけでイけるのかよ、変態」
「挟むだけで感じるくせに、淫売」
 竜胆は三途の太腿をぴたりと閉じるように持つと、そこに自らの陰茎を差し込んだ。みちり、という強く締め付ける感触がして、う、と竜胆はうめき声を漏らす。三途は「もう出るのか?」と竜胆を罵った。自分も勃起しているくせにナマイキで、竜胆はムッとして強く腰を打ち付ける。
「はあ、あ゛っ、はあっ……」
「声おさえんなよ」
「ふう゛っ、抑えてねえ……ッ。こんなんで、感じて、ない」
 口に手をやり、三途はイヤイヤというように顔を竜胆から背ける。別の涙がにじんで、その長い睫をぬらした。竜胆はますますその顔に興奮して、ピストンの速度をはやめた。竜胆の長い髪がカーテンの様に垂れて、三途の髪と混ざり合う。
「ン、ん゛っ……」
 竜胆は、はたと思いついたように三途にキスをした。口を塞がれ息を止められた三途は、くぐもった声で苦しげに喘ぐ。この男はあまり乱暴でないくせに、三途を追い詰めるようなことばかりする。兄と比べて性悪ではない、というだけで優しいわけではない。どちらかというとひどいのだ、灰谷竜胆という男は。
「は、感じてんじゃん」
「う、るせえッ。はやく、イけってば」
 意地の悪いことをされた三途はぎゅう、とわざと太腿に力をいれて竜胆の陰茎を強く締め付けた。その刺激にたまらなくなり、う、と竜胆はゴムのなかに射精をする。
「やっと出しやがった……」
「三途まだだろ。付き合ってやる」
「素股じゃ無理だっつの、っあ! また、擦るなあっ」
 精液の溜まったゴムを放り投げると、今度は生の肉棒を濡れた股に挿入する。上半身はすっかりベストまで服を着込んでいるのに、下半身の素肌をさらしている姿は禁欲的な処女を征服してしまったかように淫靡で、竜胆の興奮を煽る。
「それって、挿れてってことか?」
「ち、が……ッ。ちがう、ちがうっての、お、゛おっ」
「素股ごときでイけないんだろ、汚い声出してんじゃねえ、よっ」
 ぱん! と突き上げるように、ひときわ強く裏筋同士を擦りあげると、三途は無理だと言ったその口をはくはくとさせ、射精した。ピンクのベストに白い液がかかって、汚れる。
「さいっ、あく……」
「出したの三途だろ。俺はちゃんとゴムに出したし」
 イったばかりの三途は腹に手をやると、自分の精液をすくい取って嫌そうな顔で見つめた。夢のことはどこかにいってしまったが、どうにも三途はみじめな気分で、ため息をつく。射精してすっきりした頭で、クリーニング代のことを考えた。
「買い直しじゃねえかよ……」
「ラリってセックスして汚したので経費で落としてくださいって言うか?」
「バカだと思われんだろうが。竜胆、どけ。もう終わりだ」
「自分勝手なヤツだな。俺のこれどうしたらいいんだよ」
「自分勝手でいい。このベストがハイブラだってことが俺にとっては重要」
 竜胆の胸を押してソファから降りようとする三途を、押しつぶすように竜胆は邪魔した。腕っ節は大人になっても三途のほうが弱い。分厚い胸板を押し返して、少しは動けよ、と三途は嫌そうに顔をゆがめる。
 竜胆は言った。
「どうだっていいだろ。セックスして、仕事でもしてたらどうせ明日には忘れてる。夢も、そのベストも。優先すべきなのは、俺のチンコが痛えからなんとかしなきゃならねえってこと」
 クズだな、と三途は言った。竜胆は嬉しそうに顔をほころばせる。褒め言葉じゃないっていうのに。

 これも夢なのだろうか? 夢だったかもしれない。どっちでもいい。

 ・・・

「三途くん」
 花垣がアイスクリームを持って、駆け寄ってきた。三途はマスクを外してそれを迎える。さんさんとした日差しが、公園にふりそそいでいた。マスクをするには暑い天気だ。
 三途の記憶の中にはどこにもないシーンだ。これは夢だ、と頭では思っているのに、三途の体は花垣からメロン味のシャーベットを受け取る。特攻服でもない、ふつうのラフな格好をした自分が、花垣と仲良くアイスクリームを食べているなんて、天と地がひっくり返ってもないような光景だ。
「なにがいいか分からなかったから、適当にフルーツのやつ選んじゃいました」
「いや、別に。嫌いなのねえから」
「よかったです。オレ、三途くんのことあんまり知らないから、どれ選んで良いか迷ったんですよね」
 花垣は笑っている。その顔が心底、死ぬほど、狂おしいほどに三途は憎らしい。マイキーに気に入られているぼんくらが、こんなに近くにいるのになにもできずにただ三途はアイスクリームをなめた。こんな状況下なのに、アイスクリームは甘くて美味しくて、なんだか似つかわしくなかった。
「知らなくていい」
「そんなこと言わないでくださいよ。ムーチョくんが来るまで、二人なんですし」
 困ったように花垣は笑う。笑ってばかりの男だな、と三途は思った。ケンカも弱くて、なんの役に立っているのかわからない、それでいて東卍の中心にいる人物。三途はこいつが分からなかった。分かりたくもなかった。でも、今はなぜかアイスクリームを一緒になめている。
「花垣は、なに味にした」
「なんか迷っちゃって。結局バニラです。三途くんがフルーツ苦手だったらクリーム系と交換しようと思ってたんで」
「フウン」
「あ、バニラが良かったですか?」
「別に?」
 こういうヘンに気が回るのが、こいつのいやなところだ。公園のベンチに二人は座って、並んでアイスクリームを食べる。目の前には、犬の散歩をする人間や、滑り台で遊ぶ子ども達がいて、こういう牧歌的な光景を見るのは三途にとってとんでもなく久々に感じられた。こんな、ただただ平和なだけの日常の一幕など、三途はその人生で一度として体験したことがなかった。だからこれが夢だと分かった。こんな変な浮遊感のある現実などない。
 自分のなかの刺激されたことがない部分がくすぐられるような、据わりの悪い気分だ。
「こんなこと言うの、ダメかなと思うんですけど」
「なに?」
「マスク外したとこ初めて見たなーって。いつもつけてるから、顔ちゃんと見たことなかったって、気づいたんです。そんな顔なんですね」
「バカにしてんならシメんぞ」
「いやいや、違うんですよ! オレ、三途くんってどんな人かあまり知らないし、知らないままここまできちゃったって。なんだか後悔してて。だから顔見れてうれしいなって」
 三途が睨んでいるというのに、花垣は嬉しそうだった。まるで、三途と会話していることそのものを楽しんでいるようだ。そんな人間いやしないと分かっているのに。
「……そうかよ」
 三途はそう言って、ああ、はやくこのうざったい悪夢が醒めますように、と願った。花垣は、アイスクリームをうまそうにかじっている。三途も舐めた。明晰夢なのだろうか、甘ったるいメロンが口いっぱいにはじけて、広がる。
「あの」
「ンだよ」
「三途くんって、普段なにしてるんですか」
「だりい。見合いかよ」
「あはは……」
 花垣はまた、情けなく笑った。三途も、つられて笑った。笑ってしまった。ちっとも笑いたくなどなかったのに。アイスクリームが、手の中で溶けていく。そんな生ぬるい夢に心まで溶かされてしまいそうで、恐ろしくなって三途はアイスクリームをバリバリと手早く食べてしまった。
       
 これは確かに夢だ。ありえてはならないから、夢でないといけない。夢じゃないと、そうでないと自分が自分でなくなってしまう。

 ・・・

「三途~。ああ、トんじゃった?」
 覚醒すると、どっと脳神経のすみずみまで快楽が押し寄せてきた。 
「゛あ、ああっ? な、ア、ア、なにっ、なっ?」
「なにじゃねえだろ。セックスだよ、セックス」
 寝バックで三途を犯していた蘭が、覚醒した三途をあやすようにペニスを深くにぐりぐりと押しつけた。急激な快楽に身をよじらせ、三途は溺れる者がわらにでも縋るようにして枕を握りしめる。脊髄の神経を腰から頂点まで波のようにひいては押し寄せる伝達物質が、三途を夢の世界から現実へと引き戻した。
「ア、ああっ。ら、らんッ? 俺、おれなにして、あ、ちょっと、とまっ、やだイク、いく、押すなっ! おく、おく、ごんごんって、やめ、やめてくれっ」
「やめねえよ。ほら、奥押して貰えてうれしいね~。俺とせっかくセックスしてるのに、どっかいっちゃう薄情者にはお仕置きしないとなあ」
 かぶりをふって嫌がる三途を、蘭は容赦なく穿った。オーガズムの波で砂浜に打ち上がった酸欠の魚は、哀れにも射精を伴わない絶頂で身を震わせることしかできなかった。
 蘭はそれを逃がさないように枕を抱きしめていた三途の手首を掴み、引っ張って更に奥へと自身を埋め込んだ。そりあがった胸でぜえぜえと三途は息をする。身動きさえろくっすっぽできないままに絶頂から降ろして貰えず、ただ喘ぐダッチワイフのように蘭に使われるセックス。こんなの暴力でしかない。だのに、さっきまで見ていた夢よりはマシだ、と行為に溺れながら三途は思った。どんな夢かは覚えていない。ただ、悪夢であったことは確かだ。それなら、自分自身がまるで思考のない〝もの〟になってしまったかのように溶けて蘭の欲望のはけ口になっている今のほうがよほどいい。
「゛おっ、また、またイくっ。壊れる、こんな、いく、いくいくっ。蘭、とま、とまって……おかしくなるっ。ずっと、ずっとイッへる、からあっ」
「今更、止まれると思う? 抜くからな、ハル。雄子宮抜かれてイこうなあ」
「とま、とまれって、バカっ、あ、入る、はいってくる、無理、むりっ」
 ぐ、とひときわ強く腰を押しつけると、奥の部屋の扉が蘭の陰茎を迎えた。ぐぽ、とその弁を抜く音が三途に幻聴のように聞こえた。実際は本当になっていたのかもしれない。
「あ、ああ……。あ、あ」
「あ~。やっぱ、丁寧にヤるとナカ違うわ。ハル、生きてる?」
「いきて、いきれるっ。は、は、蘭、蘭……」
「ぎゅうぎゅうに締めといて死んでるはないよなあ。まあ」
 じゃあ、ナカで俺のことかわいがってね。と蘭は再び律動をはじめた。息も絶え絶えになりながら、三途はその性衝動を受け止める。
 もう、怖い夢を見ていたことなんて忘れてしまっていた。

 しかし、これも夢だ。現実のような悪夢。悪夢のような現実だと言っていいかもしれない。どちらにせよ同じ事だった。

 ・・・
 
「王を守るのが家臣(ポーン)の勤めだ」
 そう言った三途をちらりと見やると、竜胆は三途のポーンをすかさず奪って、ブラックのナイトをそこにかつん、と置いた。
 三途はボードゲームを好んでやった。まだ彼が未成年だった頃は将棋をやっていたらしいが、反社会組織にすっかり染まってしまった今になってはショットグラス・チェスなんていう野蛮な遊びに変化していた。
「守りだけじゃ、勝てないんだけど」
 竜胆はショットグラスからテキーラを飲み干して、頬杖をついた。その呆れるような視線に三途は気づかない。三途春千夜という人物は、薬にハマるだけあってあまりにも夢見がちだ。ヤクを飲むヤツは、そのトリップで見る夢が希望に満ちていると信じているヤツだと、誰かが言っていたのを聞いたことがある。
 だから、三途はこのなかの誰よりもロマンチストと言えた。少なくとも、チェスのキングはマイキーではない。一マスずつしか動けないかわいそうで無力な弱者だ。そのコマを残しておいたからといって、一発逆転が狙えるわけではない。
 けれど、キングを守ることを三途はやめられない。それはもはや呪いじみていた。
「キングは大事だ。キングさえ残っていれば勝ちだし」
「三途、でも周りに誰もいなかったら、キングは身を守れない。チェスに於いてはな」
 酒に酔った頭で、竜胆は次の一手を考える。明らかに三途は負けていた。攻め手に出すぎているせいだ。三途はキングがか弱いコマであるということを認識できないから、そんな風な無理矢理な攻め手をするのだろう。こいつには梵天のブレーンは荷が重い、と竜胆は思った。
 そこで、応接室の扉がガチャリと開く。
「竜胆、なにやってンの?」
 仕事から帰ってきた蘭が、蛇のような冷めた目で竜胆達のことを見下ろした。蘭はどんなものも冷淡に見通す瞳で盤面を見ると、「ハルちゃん、もう詰んでるじゃん」とヘラリと笑った。どうも蘭は地頭の回転がいい。三途はムッっと顔をしかめる。だが、そのきれいな顔立ちに睨まれても蘭はちっとも動じなかった。
「おおかた、キングを守ることに固執して、ほかのコマを犠牲にしたんでしょ。馬鹿だねハルちゃん」
 蘭は口を開けて笑って、三途の肩を抱いた。そして滑り込んだソファに腰掛けて、三途のキングを取り上げてグラスの中身を飲んでしまった。ごくり、ごくりと蘭の喉が上下するのを、竜胆も三途もじっと見ていた。見ているしかできなかったとも言える。
「ンなにやってんだよ、馬鹿蘭!」
「俺は馬鹿じゃないよ、馬鹿なのはハルだ。こんなのが大事?」
 蘭は、ぷらぷらと空になったグラスを三途の目の前で揺らす。そして、しまいには、ぽいと床に向かって放り投げた。王の形をしたガラス細工は、床で割れて飛び散る。そのなんと脆いことか。三途の大事なものは大概こういう風に奪われていったものなんだろうな、と竜胆はぼんやり想う。
「兄貴、まだゲームしてたんだけど」
「いいじゃん。どうせお前が勝ってたよ」
「そうだけど」
「俺が勝つ可能性だってあったろ」
「眠たいこと言ってンなよ、ハル。お前は勝てない。竜胆にも、俺にも」
 三途は哀れにも、うつむいて震えた。三途はそもそも反社会組織に向いてない人間だ。むしろ〝搾取される側〟が似合う人物といえた。誰にも可哀想と言われたことはなかったが、馬鹿だとは蘭に再三言われていた。三途には、この男におもちゃ扱いされている、という自覚があったが、それに対してどうこうと文句を言えるほどに暇でもない。三途にとってこの灰谷兄弟という存在は、〝たまにセックスをする同僚〟。それだけだ。
「お前らのせいで、夢見が悪いのかもしれねえな」
「最近悪夢ばっかって言ってたな、そういや」
「俺らのせいにされるのは心外だぜ、ハルちゃん」
 そうしてヘラヘラと笑う蘭に肩を抱かれた三途は、ぶつぶつと文句を言った後、ポケットにあったクスリをいくつか握りしめて残ったテキーラで一気飲みをした。そうして夢に逃げることを、悪い癖と竜胆は揶揄した。一方蘭はそこが愚かでかわいいところだと嘲笑した。
「春、また逃げたの? 俺に正論言われちゃったから? 馬鹿だね」
 蘭は機嫌がよさそうだった。竜胆もニヤニヤと笑っている。この兄弟と出会ってから、夢見が悪いような気もしたが、悪夢の恐怖から救ってくれるのもまたこの兄弟だった。皮肉なことに。
「兄貴、機嫌良いな」
 竜胆が長い髪を払いながら口を開ければ、蘭は「ア?」と急に凄んで見せた。
「機嫌なんかよくねえよ。最悪だ。三途といるとどうにもイラつくし」
 イラつくなら自分なんかに構うな、とぐんにゃりとした思考のなかで三途は思った。自分が子どもの頃からいつまでも離れられないでいるのは、ただ一人。無敵のマイキーそのひとだけなのに。彼から与えられたものを、忘れたことなど一度としてないのに。なんでこんなやつらと、やつらなんかに、自分は支えを求めてしまうのか。
 わからない。なにも。この世の中にはわからないことばかりなのだ、三途にとっては。

 悪夢を見るのはなぜなのだろうか。その答えはだれも教えてくれない。
 
・・・ 

 キングのグラスが割れる。ビルの上から、三途は落下していく。なぜ自分が落下しているのかわからない。落ちていく自分を、三途は止めることができない。
 誰かが自分を見ている。
「マイキー? ……隊長?」
 一番居そうな人物の名前を、三途は口にした。続いて、居て欲しい人物の名も。そんなことがあるわけがないと頭では分かっているのに、そうしてしまった。我が王。我が希望。我が悪夢。そして、兄であって欲しかったといつか願った人。
 放り投げた腕を誰かが掴んだ。血まみれの腕だった。この腕を三途は知らない。蘭でも、竜胆でもない。その手が、しっかと三途を掴んだ。
「誰だ」
 三途は暗闇に問いかけた。相手の顔は見えない。
「誰だ!」
 三途は叫んだ。答えはない。ただ、その手は驚くほどにあたたかくて、やさしかった。なぜか、そのとき三途の鼻をメロンの匂いがかすめた。ぽつり、ぽつりと雫が三途の顔に降り注ぐ。

 これが、見た中でいちばんにひどい悪夢だ。

 ・・・
 
 目を覚ますと、慣れ親しんだ快楽が三途を包んだ。
「竜胆、竜胆なのか? それとも蘭? 蘭、どこだ。竜胆……」
「俺だ。竜胆。とうとうおかしくなったか?」
 三途は、自分を抱いているのが竜胆であることを確認すると、安心して抱きしめた。恐ろしい夢を見たのだ、というと、二人のセックスを一糸乱れぬ姿で見ている蘭が「いつもだろ」と返した。たしかに、三途は自分でもいつも悪い夢ばかり見ているのを分かっていた。
 ユングもフロイトも、答えをくれない。なぜなら三途は、だれに助けて欲しいわけでもないからだ。自分の見る夢は、けして願望なんかではない。あの手が欲しいのは自分ではないということを、すっかり理解していた。自分が欲しいのは、この泥のような享楽と、悪い夢を忘却するだけの気晴らしだ。
 それをくれるのは、けしてあの、アホ面でバニラを食べていた花垣ではない。この、目の前の、悪魔のような灰谷竜胆と灰谷蘭なのだ。
 

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