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​愛こそすべて

​​(ひふど 寄稿作品)

 今日もシンジュクは最高の夜だった。一二三がそうした。

 ところがシャンパンを飲み干した一二三が店を出ると知らない女が立っていて、お前を〝収容〟する、と突然告げられたので、一二三ははじめそれがどういうことかわからなかった。中王区の役人だという女が目の前にいるというのは、一二三にとって穏やかではない状況だ。今ジャケットを着ていて良かったとホストモードの自分に安堵する。
「子猫ちゃん、急に仕事帰りの人を捕まえて〝収容〟だなんて、どういうことだい?」
「男に教えることはできない。下郎は黙って収容所に行くだけだ」
「収容所? 僕はそこに行かなければならないのかい? 独歩くんは」
「もちろん、お前の同居人もだ」
 役人の女は、顔色一つ変えずそう返した。一二三は、独歩もそこに連れて行かれていることを知り、ならば行かねばならないと考えを改めた。独歩が危険にさらされているなら、行かないという道理はなかった。たとえ、そこが中王区という地獄だとしてもだ。
 一二三がろくすっぽ抵抗しないのを良いことに、女は一二三に手錠をかけ、目隠しをしてどこかへと連れて行った。もうここには帰れないだろうな、という漠然とした思いだけがそこに残された。残したものとしては、先生のことだけが気がかりだった。逆に言えば、それ以外に一二三には独歩のいない世界に未練などなかった。

 ・・・

 一二三に割り当てられた部屋は、そんなに悪いものではなかった。おそらく、女に人気のある一二三を不当に扱うことは中王区ですらできないのだろうと一二三には見当がついた。独歩は、と問うと、別の部屋にいると女は言った。
「頼むよ、子猫ちゃん。僕と独歩くんは一心同体、離れてしまうのは耐えられない。一緒にしてくれ」
「そんなにあのくたびれたサラリーマンが大事なのか?」
「そうさ、誰よりも大事なんだ。だから、彼にどうかひどいことをしないでくれ。そして、僕のそばにいさせてくれよ」
 一二三の望みはそれ以外になかった。別室で、孤独に過ごす独歩のことを思うと、胸がはち切れそうだった。女は、では、と条件を提示する。
「貴様のラップアビリティを、中王区の命令があれば必ず使用することを約束しろ。貴様のアビリティは、真性ヒプノシスマイクを使わなくても〝言うことを聞かせる〟ことができるからな」
「それくらい、それくらいどうってことないさ」
「では、観音坂独歩に〝バーサーカー〟を使うように命令できるな」
 一二三ははじめ、女の言わんとすることが分からずきょとんとした。独歩に、ラップアビリティを使わせる?
 独歩のアビリティは、本人の意志では使えない。追い詰められたときに自動で発動する、護身のための諸刃の剣のようなものだ。すさまじい威力を誇るが、それを使う代償は大きい。それを、一二三の命令によって無理矢理起動させれば、いつ爆発するかわからない爆弾から、なにものをも圧倒する有用な武器へと進化することは予想がついた。つまり、中王区は一二三と独歩に生体兵器として働けと言っているのだ。
「そんなことをしたら、独歩くんは壊れてしまう。同意しかねるよ」
「すぐすぐというわけではない。〝必要な時が来たら〟使うという話だ」
 一二三は悩んだ。独歩を一人にはしておけない、だが、傷つけるのは本意では無い。自分のエゴと道理の間で一二三が揺れていると、部屋の中に明るい声が飛び込んできた。
「あ! ここにいた!」
「……君は」
「睨まないでよ一二三、こんなに好きなのに」
 あの女が、ニッコリと笑って立っていた。一二三が唯一恐れたことのある女が、邪答院仄仄が、なんの遠慮も配慮もなく部屋へと入り込んできた。
 一二三は恐ろしさから、ジャケットを着てさえも体をこわばらせる。それだけ一二三はこの女が怖かった。
「聞いたよ、観音坂くんに会いたいんでしょ。ほんと、妬けちゃうよね。あんなのが好きなんて、趣味悪い」
「君に、言われたくないな」
「あはは、そう? ……ねえ、会わせてあげよっか」
 〝言浚〟の仄仄の権力を使えば、会わせることは可能だろう。この女は、いつだって一二三に甘い言葉をかけてくる。わたしだけは味方だよ、なんていう言葉を、悪魔のように囁くのがこの女のやり方なのだ。
 この女のいいなりになど、一二三はなりたくなかった。だが、独歩を兵器にすることも耐えられない。一二三には迷いがあった。どうするのが正解なのか、分からなかったのだ。そんな一二三に、仄仄は追い討ちをかけた。
「私の言うことを聞いてくれたら、会わせてあげる。一二三のだ~いすきな観音坂くんに。でも、言うこと聞かなかったら、観音坂くんをひどいめにあわせるね」
「そんなの、選ばせる気がないじゃないか」
 一二三には選ぶ余地がなかった。全部この女の思い通りになるしかないのだと知り、一二三は歯を食いしばって仄仄をにらみつけた。口から発せられた言葉は「イエス」。だって、それしか選びようがないじゃないか。
「ああ、一二三。大好き。愛してるよ」
 仄仄は嬉しそうに微笑んで、一二三に抱きついてキスをした。反吐が出るようなキスだった。
「だから、いっぱい絶望してね」 
 
 ・・・

「もう止めてくれ!」
 独歩は泣き叫んだ。目の前で起きる惨状に顔を覆いたくても、後ろ手に縛られているのでどうしようもない。そもそも顔をそらしたら殺すと言われてできなかった。
 モニターには、服を脱いだ女と男が映されている。女が上に乗っかり、男は逃げようと及び腰になっているが、ベッドのヘッドボードに手を縛られ繋がれているためそれも叶わない。音声は聞こえないが、男は泣いているようだった。女は笑って、騎乗位の格好で腰を振る。
「止めてくれ、頼む、お願いだ。俺がどうなってもいいから……なあ……」 
 画面の向こうですすり泣いて嫌がる男は、独歩の幼馴染だ。どう見てもそうだった。そして、無理矢理彼を犯している女は、憎いあの、仄仄という女だ。
 一二三の女性恐怖症の元凶にして、最悪の人間が、一二三と明らかに合意でないセックスをしている。独歩が中王区にすすんで〝協力〟しなかったせいだと独歩にそれを見せている中王区の役人が言った。これは罰なのだと、独歩のせいで一二三は恐ろしい思いをしているのだと教えられて、独歩はあまりの苦しみにぼろぼろと涙を流した。
「俺が悪かった……。なんでもする、なんでもするから……。今すぐこんなことを止めさせてくれ。あいつに、ひどいことをしないでくれ」
 独歩が言うことを聞かないから、というくせに、独歩が従順になっても画面の向こうの強姦は終わらなかった。仄仄のことだから、独歩が従わないからなどというのはただの方便で、セックスをしたいだけなのだろうとは分かっていたが、それでも独歩はそれを終わらせたくて、ただ泣いて許しを請うた。
 どれほどの時間が経ったのだろう。一二三の無理矢理勃起させられた性器が、仄仄の膣に入れられ、射精したのを見たときはこの世の終わりのようにも思われた。独歩はうなだれる。ああ、こんなことになるくらいなら、自分はもう奴隷になっいたほうがいいと思えた。どんなひどい扱いをされたって良かった。ただ、一二三が感じた地獄がどれほどむごいかを思った。
 それからしばらくが経ち映像が途絶えてもなお椅子に放置されている独歩の元に、厚顔無恥の化身のような顔であの女が現れた。独歩は「殺してやる」とにらみつけ、本当にくびり殺してやりたい気持ちだったが、椅子に縛られているため手を出せやしない。
「一二三と私のセックス、どうだった?」
 仄仄はそんな独歩をあざ笑うようだった。「最悪だ」と独歩は吐き捨てた。「あんなの地獄とおなじだ」
 口さがない言葉を口にしつつも、この女しか頼れない哀れな独歩が頼むから一二三に会わせてくれ、家に帰してくれと懇願すると、仄仄はふてくされた顔をして、爪先で地面を蹴った。
「観音坂くんも一二三も、つまんないの。私たち、助けてあげたのに」
「どこが助かったっていうんだ。お前たちに兵器になれって言われて、一二三はお前にセックスをさせられた。どのツラ下げて助けたって?」
「このかわいい顔だってば! っていうか観音坂くんたら、なーんにも知らないんだから。壁の外って、たいへんなんだよ。反政府レイシストのテロリストが暴動を起こして、たっくさん人が死んでるんだ。外に帰ったら、観音坂くんなんてすぐ死んじゃうのに」
 独歩は面食らって、閉口する。仄仄の言うことだ、信じてはいけないのは分かっている。だが、嘘を言っているのか本当のことを言っているのか曖昧で、嘘だと決めつけることもできなかった。
「男がいなくなったら、子孫は繁栄できないでしょ。だから、テロが起きる前に政府は何人か収容するって決めたの。運良かったね、観音坂くん。一二三のおまけでやってこれてさ」
「……一二三は? それを知ってるのか」
「知らないよ、たぶん。セックスしてくれなきゃ観音坂くんがひどい目に遭うよ~なんて言ったらすぐヤれちゃった。」
「俺なんか、どんなひどい目にあったっていいのに。馬鹿なやつ」
 一二三がどれほど自分のことを思いやっているか独歩は痛感して、そしてその罪悪感で胸を痛めた。虫けらのごとき自分など、会社の奴隷になるも中王区の奴隷になるも一緒なのに、あの優しい幼馴染みは心底大事にしてくれている。そのことが独歩はどうにも後ろめたかった。
「一二三も同じ事言ってたよ。馬鹿な観音坂くん」
 そんな愚かな独歩を、仄仄は呆れた顔で見下ろした。お互いがお互いのためだけに生きて寄り添う姿は、彼らのチーム名にもある絶滅した狼の最後の生き残りにも見えた。
「いいよ、一二三には言わないであげる。手を出すのもナシ。その代わり、観音坂くんには〝なんでも〟してもらうからね」
 独歩は頷いた。一二三にひどいことをさせてしまった自分に、人権などもとよりない。ただ、一二三がなにも知らないで平和に生きてくれるならもうなにをしたっていいのだ。

・・・

 一二三が言うことを聞くと分かったからか、独歩に会うことを許された。女とセックスするという恐ろしい経験をしても、独歩とまた一緒に居れるなら些事と思えた。だが、独歩のほうはそうじゃないらしかった。
「ごめん、俺なんかのために。すまない一二三……」
 独歩は自分を守るために一二三が仄仄と性行為をしたということで、当事者の一二三以上に心を痛めていた。俺のためにそんなことをしなくてよかった、と独歩は一二三に言ったが、寧ろ独歩のためだからそうしたのだと一二三は思ってならなかった。
「独歩だって、俺に危害を加えないって条件で中王区の言うことなんでも聞くって約束したんだろ。俺のために、そんなことしなくたっていいんだぜ」
 一二三は寧ろそっちのほうが気がかりだった。本当に〝なんでも〟やらされたらと思うと肝が冷えた。独歩だって、女達に奴隷のように扱われてしまうんじゃないかという危惧が一二三にはあった。
「お前のためだからなんだってできるんだ。アビリティだって、何回でも使ってやる」
 独歩は真剣な表情で言った。そんなの自分を全くもって大切にしていないと一二三は怒りたくなる。一二三は、一二三を傷つけられる以上に独歩が傷つくと胸が痛むのだ。独歩はそれを分かってはくれない。一二三が傷つくと、自分が傷つく以上に苦しむくせして。
「正しいことじゃないかもしれないが、俺はお前を傷つけてでもお前を守りたいんだ」
 それを告げれば、不器用な笑顔を見せた独歩は一二三の手を握った。ああ、やっぱりこいつはバカだなあ、と一二三は感じる。ネガティブになっても、俺のせいが口癖になっても、いつだって独歩は変わらない。強くて、輝かしい。そして、まぶしいほどに愛しい相手だ。
「俺だって、そうだよ」
「いいんだよ。しんどいのは俺だけでさ……」
 一二三はもう泣き出しそうな程だった。どうして独歩は自分を大切にしてくれないのだろう。そして、なぜその原因が自分なのだろう。仄仄とセックスしたとき以上にそれは絶望的な気持ちだった。
「あの……キッズ・リターンって映画あったろ。ヤクザが出てくるやつ」
「一緒に見たヤツ? もう内容覚えてないな」
「あれにさ……「俺達、もう終わっちゃったのかな」って言うシーンがあったんだ。それに、マーちゃんがさ、「バカヤロー、まだ始まっちゃいねえよ!」って返すのが好きだったんだよ。なあ、一二三。俺たち、まだ始まっちゃいないって思わないか。俺は信じてるんだ、お前を守ってさえいたら、いつかその「始まり」が来るんだって……」
 ほら、落ちたら上るだけっていうだろ。今どん底だし、あがっていくだけだって。と独歩はいつか二人でレンタルして見た映画の話をした。まだ一二三がホストじゃなかったとき。部屋に引きこもって、毎日悪夢を見ていたときだ。二人は一緒に映画を見た。あのときだって、どん底を感じていた。そのたびに、独歩は一二三の手を握って励ましてくれていたではないか。
「本当に、独歩って影響されすいやつだなあ。そんな昔の映画のこと、よく覚えてるよな……」 
 一二三は涙ぐみながら、独歩を抱きしめた。抱きしめられた独歩は、ゆっくりとした動きで一二三を抱き返した。お互いの体温が馴染み合って、心臓の音が聞こえた。今はそれだけでいいと思えた。独歩がそういうなら。
「一二三、きっと俺達大丈夫だ。お前が大丈夫でいてくれたら、俺は絶対になにがあっても平気だ」
 一二三を抱きながら、独歩は脳裏で聞いていた。壁の向こうの銃声を。惨状を。人々が苦しむ声を。知らないでいてくれよと願った。この壁に覆われた繭で、死にゆくだけかもしれないなど、言いたくなかった。ただ、終わっちゃいないという希望を抱いていてほしかった。独歩は一二三の笑顔が好きなのだ。出会ってから、それだけを胸に生きていた。
 

(ふにょすけさんの同人誌 お前がバカで良かった に寄稿)

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