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​禁則にないこと

​(エスカズ)


「ちょっと」
 支給品のタバコを受け取ったカズイは、きびすを返したエスを引き留めた。
「なんだ? 話すことはもうないはずだ」
 エスがむっとしてその高いところにあるカズイの顔を見上げると、カズイは「いいじゃないか」と笑う。看守と囚人は尋問以外に触れあったりしないのがほとんど原則で、エスは尋問と支給品の受け渡し以外カズイと話したことはなかった。だから、引き留められたのに驚いて、つい足を止めてしまった。その必要はないのに。
「いや、俺が看守くんと話したかったんだよ」
「そんな勝ってがまかり通るか。こちらは話す気などない。立場をわきまえろ」
「いいだろ? 俺のこと、知れるかもしれないし」
 そう意味ありげにカズイはエスに視線をよこした。尋問でも心象の抽出でもパーソナルなことが分かることが少なかったカズイであるから、エスの個人的感情としては絶好のチャンスといえた。だが、義務がエスを縛る。
「だから、話す気はない。もう行く」
「ふうん。弱虫だな」
「……なんだと?」
 エスは怒って眉を上げる。カズイはまだ子どもであるエスの前でペリペリとタバコの箱のビニールを剥がして、一本を取り出すと簡易ライターで火をつけた。
「怖いんだ? 俺と話すの」
「怖くなどない! それに、お前はどうせなにもできやしない。看守に囚人は危害を加えることはできないんだぞ」
 さらに煽ってくるカズイに、エスは犬のように吠える。しかし、カズイは動じない。ふう、とカズイはゆっくりと肺にタールを回すと、エスに向かってタバコのけむりを吹きかけた。
「タバコの副流煙には、主流煙より多くの有害化学物質が含まれます」
 カズイはタバコのパッケージを見ると、そう読み上げる。そして、白い箱をエスに向かって見せた。まるで、これが〝危害〟だと言いたげに。
「寿命、縮んじゃったかもな」
「馬鹿を言うな。こんな一回で死ぬものか。……お前にはしつけが必要なのかもな」
「おお怖い。出さないでくれよ、そんな武器」
 エスが鞭を出すと、カズイは降参したというポーズをとって手を挙げる。ポトリと落ちた燃え始めのタバコが、紫煙をまだ吐いているのをエスはぐしゃりと踏み潰した。どうにもこの男はつかみどころがなく気に食わない、とエスは思った。
「ふん、お前を赦す赦さないもこっちに委ねられていることをゆめゆめ忘れるな。変な行動をとったら、どうなるかわかるな?」
「……そんなことで有罪にするあんたじゃないだろ?」
 そう言われてしまえばそうだった。こんなことで有罪にするエスではない。あくまでも、尋問と心象の抽出から得た情報でエスは断罪する。してきた。一審は少なくともそうだった。黙り込むエスに向かってカズイはしゃがみこむと、すっと手をのばし、エスの帽子をとってその頭を撫でた。そして、なにかもの言いたげな、それでも言いたくないような顔をして、エスの額に口をつけた。
「な、なにをする!」 
 エスはかっとなって、ばしん、とカズイの顔をたたいた。ぼとんとカズイの手から帽子が落ちる。それでもカズイは笑っていた。その青い目だけが、意味ありげに輝いていた。
「俺のことを知って、暴いて、それで、ちゃんと処罰を決めてくれよ。エス」
「無論だ! クソ、はやく行ってしまえ」
 あまりの羞恥心に顔を赤くしたエスがぎろりと睨むと、カズイは立ち上がり、「じゃあね」と去ってしまった。残されたエスは、歯ぎしりをして、「ああ、やっぱり気に入らない」とその大きな背中をただ、見送った。
 
 
 
 

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