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​薬いらずの夜

​(フーカズ 監獄を出たIF 灰塵さん(user/91509855)とプロットを交換させていただいて作成した小説です。よろしくおねがいします。)

 インターネットがすっかり嫌いになってしまった。
 あの掃きだめみたいな居心地のいいドブ川に、少しでも希望を持っていたのに、あの監獄から戻ってきたフータはそこになんの望みも持たなかった。
 じゃあインターネットの外になにがあるのか? フータにはなにもなかった。SNS依存症とも言えた彼に、生身の友達など数えるほどもいなかったし、そいつらと元の通りに笑えるかと言えばそれはどだい無理な話だった。
 人間の話し声も苦手になって――そこからいつ、フータに暴言の火炎瓶が投げられないかと怖いのだ――外出時には耳栓代わりのヘッドホンが欠かせない。対人コミュニケーション能力も低下して、買い物もうまくいきやしない。店員がいつバケモノになって、フータを罵るかわからないからだ。
 夜がいちばん怖かった。睡眠導入剤で無理矢理眠るまでの一時間、もうしないはずの耳鳴りがして、監獄にいたときのように「お前のせいだろ」とぐにゃり曲がったメッセージが天井からフータに降り注ぎ、傷をつけた。監獄から出て普通の生活に戻ったフータだが、幻聴と被害妄想だけはうまく払拭できなかった。
 ああ、クソッタレな人類。オレがそんなに憎いかよ。でも、オレだけじゃないだろ。分かってる、オレだって悪いこと。悪かったこと。それを思い知らされたこと。傷つけたと傷つけられたの間で、悪いと悪くないの間で、死にたいと死にたくないの狭間で、結局フータは生き残ったこと。
「フータ、フータ? 調子悪いのか?」
 フータの一人部屋に顔を出した男が、柔らかい調子で苦しむフータに声を掛けた。しかし、フータは声をだせないで、ウンウンとうなることしかできない。まるで金縛りだ。
 男は、それを察して、部屋に入ると、フータの横たわるベッドの横にしゃがみ込んで、ふうふうと荒く息をするフータの腹に優しく手を置いて、一定のリズムで叩いた。
「フータ、大丈夫だ。もう監獄じゃない。お前は安全だよ。怖いものも、なにもない。俺もいるし、万事うまくいってる。大丈夫……大丈夫……」
 大丈夫、というどっかの適当な医者が処方したパキシルよりも効く精神安定剤が、フータの身体に染み渡った。温かい手が、フータの頭を撫でたところで、ようやっとフータは返事ができた。
「カズイ」
 男――カズイはそう呼ばれて、大きな目を細め、「なんだ?」と柔和に笑った。一審でギルティになり、コトコの襲撃を食らってから、ずっとフータの側にいてくれた囚人だ。外に出たとき、囚人たちはてんでばらばらにどこかに行ってしまったが、カズイだけは、フータに「一緒に行かないか?」と聞いてくれた相手だった。
 その誘いを断ることもできたけれど、フータ自身が「もう自分は一人では生きてはいけない」と自覚していたのと、カズイのほうも、「来て欲しい」と言っているようであったから、フータは首を縦に振った。
「あー、大丈夫だ。ちょっと夢見が悪かっただけ」
「また監獄の?」
「もう出たっていうのにな」
 身を起こしたフータが自嘲気味に笑うと、カズイはその身体を軽く抱きしめて、「大丈夫さ」となだめた。実際問題大丈夫なんて言葉で大丈夫になっていれば、ソラナックスもデエビゴも要らないのに、フータはその言葉が一番安心した。そう考えるとカウンセリングも、処方される薬も、なにも効果がないようにも思えた。
「フータは大丈夫。人生はすごく長いから、いつかはしっかり眠れるし、外も歩けるようになる」
「また、詭弁ばっかりいいやがって」
「事実さ」
 カズイは肩をすくめる。カズイと話している間だけは、フータは苦しい思いをしなくて済んだ。安心できる相手だと思っているからだ。
「眠れる? おじさんがいなくても」
「眠れるっつーの。寝る前の薬もちゃんと飲んだし、普通にねみーし」
「でも、俺が見てたいから、見てていいかい?」
「…………いいぜ」
 掛け布団の隙間から入ってきた大きな手が、フータの手をやさしくつつんだ。それだけで、フータはひどく安心して、眠くなってしまった。
 眠る前に思ったのは、自分ばっかりだな、こういうの、ということだった。

・・・

 睡眠導入剤の効き目が悪かった。中途覚醒してしまったフータが時計を確認すると、深夜2時を時針はさしていた。喉がかわいてリビングに行くと、ダイニングの換気扇の下でカズイが心ここにあらずといった雰囲気でタバコをふかしていた。
「ああ、ごめん。消すよ」
「べつに、いい」
 リビングに来たフータの姿を認めると、カズイは謝って手早くタバコを消そうとした。フータはそれを止めると、ペタペタと裸足でその側に寄った。
「なに考えてたんだ?」
「ん~? フータ寝れてるかな、とか。そういうことだよ」
「嘘つけ」
「嘘じゃないんだけどなあ」
 頬をかくと、カズイはタバコの煙を吸って、吐いた。フータのことではないのは明白だった。カズイは嘘つきのくせに、嘘をつくのが下手だ。すくなくとも、フータにとってはそうだった。だが、フータが無言で睨んでも、カズイは微笑むだけだった。
 それがむかついて、対等ではないと言われているようで、やはり嫌だった。
 一審でイノセントだったとしても、カズイが一度もギルティにならなかったと言えばうそだ。となると、フータのような苦しい思いをしなかったというのも、うそなのだ。
 いや、あの監獄では全員が苦しんでいたように思う。イノセントになったものも、ギルティになったものも、平等に狂っていった。なのに、カズイだけはいつも平気そうだった。監獄内でも、そして、そこから出た今でも。
 フータは今でも鮮明に、自分を責める声や相手の自殺動画が思い出せる。それを思い出すと、途端に具合が悪くなってしまう。カズイだってヒトゴロシなのだから、だったのだから、自分と同じではないのか、何故そんなに平気そうなのだとフータは不思議に思った。
 他にない恋人――そう形容すると、フータとしては気恥ずかしいのだが――のことだから、心配したのもある。
 フータとカズイは恋人関係にあった。たぶん、監獄にいたころから。明確に言葉にしたことはなかったし、「さて恋人になりましょう。今日からあなたたちは恋人です!」なんてだれも言ってくれないものだから、ずっと無名のままでいた。でも、抱き合って眠ると心地よいのは確かで、それをはなしてやるなんてフータは思うことは出来なかったので、おそらく恋人でいいんだと、思っていた。
 だから、ほんとうはフータ自身は、現状自分ばかりがカズイに頼っているのが腹立たしかった。自分だって役に立ちたかったし、弱味をみせてもらえないのも、侮られているようで嫌だった。対等になりたかった。
 だから、その姿を見たとき、ああ、やっとか、と思ったのだ。

・・・

『飲み会で遅くなる、ごめんね』というメッセージと、かわいい猫のスタンプが押されたSNSを見て、フータはスマートフォンの画面を暗くした。カズイの帰りが遅いことなどなんべんもあったから、寂しいなどとはフータは思わない。ただ、独り寝がなんとなく怖いだけだ。
 目をつぶってしまったが最後、嫌な夢を見るんじゃないかと眠れない。デエビゴにはそういう副作用もあるようだ、なんてクスリのせいにしたってどうしようもない。それがないと眠れやしないのだから。
 寝たのは22時だったか。それよりも遅くか。気絶するように眠るのだから寝た時間などさして問題ではない。
 ただ、起きたのは午前1時だった。びっしょりと寝汗がフータの背中にしたたっていた。修学旅行で行ったパキスタンで、法に触れ過激派に処刑されるというトンチンカンで恐ろしい夢を見たからだ。被害妄想甚だしいが、そんな夢をみることももう常のことになってしまっていた。
 水でもまた飲むか、と立ち上がって、リビングルームへとペタペタと足を運ぶ。どうせこの時間だ。カズイも帰ってきているだろう、と思っていたリビングルームは真っ暗だった。
 まだ帰ってきていないのか? とフータがいぶかしげにしていると、たしかにこの部屋から酒の匂いがしていることが分かった。ああ、あいつ、行き倒れてるンじゃなかろうな、とフータが電気を付けると、そこにはソファに座って天井を見るカズイがいた。
 あまりにも異様な姿だったので、フータは驚いて、「何してんだ……?」と声を掛けた。顔を上げたカズイはフータの存在を認めてはいるものの、返事はしない。ただ、ぼんやりと無表情で、ただディスプレイになってしまっている暗いテレビを見るだけだ。
 それは常ならぬ様子だった。普段なら、柔和な笑顔を絶やさないカズイが、ただ無表情でフータを無視してどこか遠くを見ている。フータは心配して、また、「どうしたんだよ」と声を掛けた。返事はない。
「いつ帰ってきた?」
 無言。
「風呂と飯は?」
 更に無言。
「何にもしねえならはやく着替えて寝た方がいいぜ」
 案の定無言。まるでそこになにもいないかのように振る舞うカズイに、フータは怒りがこみ上げてくる。こちらは心配してものを言ってやっているのに、なぜこいつは返事をしないのか。
 一発殴ってやるべきか、と一瞬思うものの、明らかに様子のおかしいカズイに、そんな気も失せてしまう。
「なあ、カズイ。何にもしねえなら、そっち行くぞ」
 そう言って、フータはその隣に座った。そして、自分がいつもされているように、その巨躯を、軽く抱きしめた。自分がつらいとき、苦しいとき、カズイにこうしてもらうと、フータは安心した。だから、自分が今度はやってやろう、ただそれだけの思いつきでそうした。
 しかし、カズイはなにも言ってはくれない。勇気を出し損のフータは、にわかにはずかしくなって、身体を離す。
 すると、なんと、あのカズイが、はたはたと涙を流しているではないか。フータは動揺する。何故、とか、どうしたんだ、とか聞きたいことは数多あったけれども、カズイが泣いている、というそれ自体に圧倒されて、ものが言えなかった。
「はあ、涙って、こうやって出るんだな」
 そこで、やっとカズイは泣き笑いをしながら、フータを見た。その水色が、海のように透明な液体をたたえているところなど、フータは初めて見たものだから、ぎょっとして、それから、噴き出した。
「ふっ、泣くならもっと声出せよ……。赤ん坊のほうがもっと上手になくぜ」
「なんだそれ。おじさんが、赤ん坊以下だって?」
「実際そうだろ。産まれた人間が初めて知るのは、泣き方なんだよ」
「はは。はは……。そうかもな、おじさん、ちょっと下手かもしれないな。泣くの」
 ひとしきり二人は笑った。カズイはほとんど泣き笑いだったが、それでもいつものような笑顔を見せてくれたことがフータは嬉しかった。
「なあ、フータ。俺、今日参ってるみたいなんだ」
「だろうな」
「もう一度、さっきみたいに抱きしめてくれるかい?」
 縋るようなお願いに、フータが断れるわけもなかった。また、頼られるのも初めてだった。心がはやる。ようやく、自分はカズイの隠しているなにかのほんの少しを見せて貰えたのではないかという優越感がフータを襲う。
「しかたねえな。弱ってんじゃ、ほっとけねえからよ」
 にやけていないか、フータは自分の顔を心配した。カズイは、涙で赤くなった目で、「寂しいんだ」と言った。そして、抱きつくフータを覆うようにまたその手を回し、ソファに倒れ込んだ。その体温はあたたかで、ただ、手先は冷えているように思えた。デエビゴもソラナックスも、必要の無い夜だった。二人はお互いの暖かさを薬にして、寄り添って眠った。

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