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​夏日とサイダー

​​(プロセカ 彰冬)

 冬弥には「やったことがないこと」が多すぎる。水泳をしたことがなかったり、祭に来たことがなかったり。彰人は彼のそういう無垢な部分を見るたびに、親のような気持ちになってあれやこれやと世話をしてしまうところがあった。
 過保護だとか、ひな鳥の親だとか杏にはからかわれてしまうが、想像してみてほしい。普通の人間ならなんてことないことも全て目新しそうにする人間の姿を。例えば、留学生の外国人。知識だけ持って来日し、日本文化を肌で感じて無邪気に喜ぶ異邦の彼らをどうして放っておけようか。大概の人間なら、自分の知っているものをできる限り教えたがるだろう。冬弥は彰人にとってそういう存在に等しかった。男をこういった形容をするのはどうかとも思うが、まるで深窓の令嬢であるかのようでもあった。
「おい、もしかして……。これも飲んだことねえのか」
「ああ、本で読んだことはあるが。本物を見たのは初めてだ」
 だが、まさかここまでとは恐れ入った。さすがの彰人も、すこし苦笑いになってしまう。冬弥といえば、駄菓子屋の店先で冷えたラムネ瓶を大事そうに両手で持っている。どこから開けるんだ? という純粋無垢な問いかけに、彰人は自分の手にあるラムネの瓶を見せ、飲み口にはまっているビー玉をぐっと親指で押し込んだ。
 プシュ、という高い音と共に、ビー玉が中に沈む。それを見た冬弥は、おさない子の様にその色素の薄い目を輝かせた。表情はさほど変化がないものの、その目の輝きが「喜び」を示している。
「どうやったんだ?」
「どうって、押すだけだ。ぐって押すだけ。こぼさねえようにしろよ」
「ああ、気をつける」
 そう神妙な面持ちで言うと、冬弥は口を引き結んでビー玉を押し込む。気の抜けた音と、ビー玉が落ちるカラン、という響きが夏の夕方に響いた。たったそれだけだというのに、褒めてほしがるように冬弥は彰人をじっと見つめた。相手は178cmの大男だが、そういう仕草をどこか愛らしく感じてしまうので彰人も重症のようだった。こはねをかわいいかわいいと撫で繰り回す杏のことを笑えもしない。
「できたなら、飲めばいーだろ」
 冬弥は無言で頷いて、ラムネを口にした。そして「おいしい」と微笑む。彰人はその光景を目の当たりにして、変に満ち足りた気分になっていた。こうして、ひとつひとつ冬弥の知らないものを教えて、与えていくのはあの聞き及ぶだに偏屈そうな彼の父親を出し抜いたような気がして彰人は嬉しかった。それに、なにを見せても新鮮に喜ぶ冬弥の微細な表情がすべて自分の手でもたらされたものだというのは、彰人の心の奥底の冬弥を独占していたいという気持ちを満たした。
「そういえば、これはどうしたらいいんだ?」
 ひとしきり飲み終わって、瓶を捨てて公園にでも行くかというところで、冬弥が彰人に問いかけた。その白く長い指先は、瓶の中のビー玉に向かっている。
「それはそのままでいいんだよ」
「取り出さないのか?」
「たぶん、取り出せねえと思う。かてえんだよ、蓋」
「そうなのか……」
 残念そうな顔で、冬弥は瓶を振った。カラカラ、と瓶の中のビー玉が転がる。かわいそうだな、とその口はつぶやいた。かわいそう、とビー玉に向かっていうやつがこの世にいるとは! 彰人は唖然として、でもこいつはそういうやつだ、と思い直した。クレーンゲームのぬいぐるみに話しかけるような、そういう天然で純粋なやつなのだ。
「だ~~、もう。わかった、わかったから。オレが開けてやるから貸せ!」
 彰人はやぶれかぶれになって、図体ばかりでかいくせに小動物のような彼から瓶を奪い取った。プラスチック製の蓋は、思った通り彰人の手でも硬く締められていてなかなか開かない。それでも、こいつのためにビー玉をとってやりたくて、ただそれだけで彰人はうめき声を上げながら蓋をひねり開けた。
「あい、っ、った!」
「さすがだ! 彰人!」
 格闘して数分ほどだっただろうか。ぎゅぽ、と音がしてついぞ開かないと思われた蓋が開いた。そこからビー玉を取り出すと、傾いた太陽光が反射してキラリと光った。冬弥はこれ以上無いほどに喜んでおり、彰人がそれを手渡してやれば、いっとう大事そうにぎゅっとそのビー玉ごときを握りしめた。
「彰人、ありがとう。出してくれて」
「おー。まあ、お前が嬉しいならいいわ」
「夏の思い出になった。ずっと大事にしよう」
 そんなもの、と彰人はばかにできなかった。そんなものでさえもきっと、冬弥は与えられてこなかったのだ。それなら、これから一生思い出を更新してやるしかないだろう。ヒグラシの最後の鳴き声が、やけに大きく聞こえる。きっとこの鳴き声も、また来年冬弥と聞くに違いなかった。そうでない未来など、彰人は絶対に望まないのだ。


 END
 

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