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​ライク・ア・フィクション

​​(銃独 合同誌「酩酊酒場」収録)

 ほかほかと湯気を立てる焼き鳥の盛り合わせを見ながら、俺は「七十才に定年がのびるらしいですね」と軽い世間話を切り出した。首相の乙統女が、女性しかいない国会で発言している映像が収録された記事が、ネットニュースにあがっていた。
「らしいですね」
 入間さんは、たこわさをつまみに冷たいビールをぐいとやると、そうやって相づちをうつ。
「七十才って、とんでもないはなしですよね。選べるようにするとは言ってましたけど、一刻も早く仕事なんて辞めてしまいたいのに、七十になっても俺はきっと残業してるんだろうなって。容易に想像がついていやになります」
「観音坂さんはそもそも仕事のやりすぎなんですよ。ブラック、ブラックって愚痴を言いますけど、あなた、結構好きで過剰に労働しているところがあるでしょう」
「いやあ……。仕方ないですよ。命を預かる仕事ですから、生半可なことやって誰かが死んだらなんて思うとどうしても。もし俺のミスで誰かが死んだりしたら、俺、殺人犯じゃないですか……」
 医療機器販売会社の会社員は、メンテナンスも担当するし、そのメンテがしっかりしていないと精密機器はすぐにこわれてしまう。それで、それが壊れると、ダイレクトに医療現場に影響が行く。だれかが死ぬことだってありえる。そんなことが起こってしまう可能性があるのに、仕事をなあなあでできるわけがない。俺は怖がりだから、どうしてもほかの社員より要領が悪いため、時間をかけなければなにごとも十全にできやしないのだ。
「でも、入間さんは俺と違って、早く退職できそうですよね」
 一二三に人一人殺してきたような笑いと称される、不細工な笑みを浮かべて、俺はそう言った。入間さんは、タレのかかったもも串にかぶりついて咀嚼を終えると、眼鏡の奥の瞳を細めて、「そうですかね」と言った。
「私なんて、殉職か、逮捕で終わりな気がしますけど」
 ほら、私は玉乗りピエロの汚職警官ですから、とからかうように入間さんは続ける。いつまでラップバトルの決勝で俺が放ったリリックを引き合いに出すのか。酔っ払うと、冗談が多くなる気質というのは何回目かの食事で分かったことだ。
 いつもひょうひょうとしていて、つかみ所が無く余裕そうな雰囲気のある彼であったが、いつもそういうわけではない。そういうところは人間くさいな、と感じているものの、そういうことを本人に言うのははばかられた。
「そうなったら、俺どうしたらいいんですか。ひどいことを言うんだから」
「悪いとは思っていますよ。でも、私があなたに仕事をやめろとか、残業を減らせと言ったって、あなたが止めないように、私だって目的のために手段を選ばないスタンスは変えられません」
「知ってますって……」
 入間さんのしゃれにならない自虐ジョークを受けて、俺はもうこれ以上辛気くさい話をするのは嫌になってしまい、ジョッキになみなみと注がれた生ビールを勢いよくあおった。
 どうせ酒の席でするならば、もうちょっと馬鹿らしい話をしたい。
 たとえば、老後になにをしたいかとか、そういう前向きな話題をやりたかった。老後なんてくるかわからないけれど、入間さんは彼の言う通り殉職して、俺も過労死してしまいそうだけれど。それでもありえないような未来の話をしていたかった。
「入間さんは、出所したらなにがしたいんですか?」
「ああ、私が逮捕される前提なんですね」
「殉職よりマシじゃないですか」
「マシですかね」
「死ぬより悪いことってあんまりないですよ」
入間さんは、店員を引き留めて追加の焼き鳥を頼みながら、「そうですね、」と言った。
「焼き鳥屋の屋台なんかひけたら、最高ですね」
「ぶふ、入間さん、焼き鳥屋さんやりたいんですか?」
 意外な答えに、俺は噴き出した。入間銃兎が焼き鳥屋? そんなの考えるだけで面白い。ヨコハマじゅうを軽トラで走って、くっそでかい、あのよく通る声で焼き鳥、焼き鳥と宣伝して回る光景が目に浮かんだ。
「自分で聞いといて、なんですかその態度は」
 入間さんは少々顔を赤くして、怒ってみせた。それで俺は、ああ、この人案外本気で言っているんだなと感じて、笑うのをやめた。
「焼き鳥屋さんかあ。毒島さんが材料をくださって、左馬刻さんが場所をとって。焼き鳥屋台マッド・トリガー・クルーなんて、面白そうですね。きっと二人とも付き合いが良いから、やってくれそう」
「あなたも協力するんですよ」
「え。俺?」
「経理がいるじゃないですか。会社員はお金の勘定が得意でしょう。左馬刻がエクセルを使えると思います? あなたは事務として雇いますから。仕事は辞めてくださいね」
「ええ、そんな横暴な。じゃあ客引きは一二三にしてもらいましょうよ。あいつもきっと、ホストをいつまでもできないだろうし、そうしたら……、そうしたら……、なんかむなしくなってきた」
「あなたが言い出したんでしょう、観音坂さん」
 べた、とテーブルに突っ伏す俺の前に、店員があたらしい焼き鳥皿を置いていく。ぷんとタレの良い香りがして、余計に心が冷えていく。ばかな話をしたものだ。よかれと思ってやったのだけれど、そううまく行かないのが俺の人生。俺の人生、だいたいがそういう風にできている。
「まあ私にとっては、将来がどうなっても、こうして今現在あなたとお酒を飲んで楽しく話ができていることが、うれしいことですよ」
 そう入間さんはにこりと笑った。そうやって言われると俺もうれしくなって、「俺もです」と言った。
「一二三以外に、ともだちができるなんて思ってなかったですから。やっぱり幼なじみのあいつは特別ですけど、それ以外でこうして誰かと食事ができたり、遊んだりなんてできるとは思っていなかったので」
「私もそうですよ」
 酒に酔って少し恥ずかしいことを言ってしまったかもしれないなと、ぼんやり思っていたら、入間さんがそういうので俺は驚いて目を丸くした。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか。左馬刻や理鶯とは運命共同体ですが、それ意外で打算なしに付き合える相手なんてあなたくらいで……。だって私、汚職警官ですよ? 恨まれてもいるし、麻薬取り引きの組織に嫌われても居る。そんなので、ただの一般のサラリーマンであるあなたに私が関わって良いのか今でも甚だ疑問ですよ」
「はは、入間さんが俺のことを気遣ってるなんて珍しい。そうですね、俺も入間さんと一緒に収監されちゃうのかな。共犯として。ああ、大丈夫ですよ。俺、それでもいいと思っているので。そのときはそのときで」
「いいんですか」
「でも、入間さんと同じ牢は嫌だな。俺、部屋ちらかすし、怒られそうなんで」
 俺がそう言って、ジョッキにのこったビールを飲み干すと、入間さんはどこか泣き出しそうな顔をしていて、今日は俺より彼の方がネガティブだな、と思った。
 きっと、彼は夢を見られないひとなのだろう。焼き鳥屋なんて荒唐無稽なことを言ってごまかしてしまっていたけれど、本当はそんな穏やかで賑やかな将来が待っているといいと思っていて、それでいて、現実はけしてそうなからないと思っているに違いなかった。
 夢を見せてあげたいなと思った。少なくとも、自分の将来に期待できるようになるような夢を。

・・・

 分割払いで買えたんだ、と独歩はめずらしくとても嬉しそうに言いながら、真新しい軽トラの写真が載ったパンフレットを俺に見せた。
「は?」
「焼き鳥屋をやるには、キッチンカーにする必要があるらしいんだが、左馬刻さんならいい業者を知ってると思うんだ。営業許可も取らないといけないが、ものはあとは冷蔵庫やグリルだけだから、俺が食品衛星士の資格を取りさえすれば運営自体はできる計画で。すごいだろ」
「いや、いやいやいや。ストップ! 独歩ぉ、なにしてんの? 焼き鳥屋? 脱サラしちゃう系?」
 独歩が真面目腐った顔で子どもの夢(それにしては焼き鳥屋なんて渋いチョイスだったけれど)のようなことを言うので、俺は慌てて掃除を中断してしまわなければならなかった。
 軽トラを購入した、というのも意味がわからないが、それを使って焼き鳥の屋台をしたいと言い出すのは更に理解が及ばない。昔から独歩は真面目が過ぎてたまに斜め上の方向に努力をし、突飛な行動をとることがあるが、今がまさにそれだった。
 俺がとんでもなく焦っているというのに、独歩は全くもって平気そうに「いや、俺じゃなくて。入間さんが」と続けた。
「入間サンが?」
「そう。入間さんがな、警察やめたら焼き鳥屋をやりたいって言うんだ」
「は?」
 あの入間サンが、焼き鳥屋をやりたいと思っていたというのも驚きだが、それを理由に軽トラを買ってしまったのだとしたら独歩の行動の方がもっと奇特だ。
「それで買っちったの?」
「ああ」
「いや独歩ちん、誕プレにはちょーっと大袈裟じゃない? いや入間サンの誕生日、俺は知らないけどさあ」
「お前にだって車をプレゼントしてくる女のひと、居るじゃないか。それとなにも違わんだろ」
「お客さんからのと比べたらだめだって」
「でもな、入間さん、警察官だろ」
 ソファに座って大量の付箋がついたパンフレットを眺める独歩は、なんだか深刻そうな顔をしていた。独歩は先を見据えた行動が得意で、そのお陰で俺はマンションから飛び降りても生きていられたわけだけど、その心配性のせいで余計な先回りをしてしまうこともある。石橋を叩いて割るというのはもしかしたら独歩のためのことわざかもしれない。
「警察官だから、死んじゃうかもって?」
 独歩が手にした新聞の切り抜きに、警察官の死亡数が掲載されているのを見て、合点がいく。百五十年で五千五百人。多いか少ないかわからないが、独歩はそれを気にしたに違いない。俺が聞くと、独歩は「まあそうだが、たとえ死ななくても、入間さんは今の仕事以外出来ないって分かるだろ。入間さんひとりがどうこうしたって、麻薬は無くならねえし、平和にもならん」と続けた。
「そーかもしんねえけど」
「かもしれないじゃなくて、そうなんだよ。でも、嘘だろうが夢は見たいだろ。だから焼き鳥屋やろうって思ったんだ。ままごとでも、屋台用意すれば本物だろ。お前のホストモードが嘘じゃないみたいに……」
 独歩はどうやら本気で焼き鳥屋の屋台を作り上げる気でいるらしかった。俺のホストモードは確かに究極の自己暗示の産物だけれど、嘘じゃない。限りなく本物に近い虚構は、もう本物と区別がつかないからだ。それと、この屋台は同じだ、と独歩は言う。
「俺が本気で食品衛生責任者の資格をとって、二百万円で本物の屋台を用意して、冷蔵庫やガスグリラーも持ってきて、お前の名義で認可をとって、それでヨコハマのどっかで知り合い相手に入間さんと俺とで営業したら、入間さんは焼き鳥屋じゃないけど、焼き鳥屋になるだろ」
 むちゃくちゃな言い分だったし、勝手に俺のことを巻き込んでいたのであきれたけれど、それでも独歩が本気なら、俺は本気で応えるしかなかった。それバーベキューじゃだめなのかとか、卓上の焼き鳥コンロ使って焼き鳥パーティでいいじゃないかとか、そういう無粋なことが言えるわけがない。
 馬鹿馬鹿しいことを真剣にやるのが俺と独歩で、そんな俺たちだったから今までずっとやってこれた。独歩の友達になるってそういうことで、入間サンは独歩の友達になったんだから、その洗礼を受けなければならないのだ。

・・・

「……ウサ公、俺はよ、あいつのためにも足洗えって言えるほどにお前の気持ちが分からねえ訳じゃねえ。   でもなあ、あいつの焼き鳥はうめえぞ。おまえのはイマイチだけど」
 左馬刻がタレがたくさんついた焼き鳥を頬張りながら、機嫌がよさそうに言った。それを早々と食べ終わると、後ろに停まった軽トラに向かって、塩はまだか、と言った。
「料理はへただと聞いていたんですがね」
「んあ、そうなのか? じゃあ、練習したんだろ。あのバカリーマン」
 勤務中に突然左馬刻に電話で急用だと呼び出され、怒りながらヨコハマの、あいつ所有の倉庫街にきてみれば、なぜか観音坂さんと伊弉冉さんが軽トラで焼き鳥を焼いていて、左馬刻と理鶯がそれをはふはふと食べていた。
 なにがなにやらわからなくて、左馬刻をどやしてみれば、俺じゃないと言いやがるので、どういうことだと思っていたらエプロンを着けた観音坂さんが「入間さんも焼き鳥やいてください」と言って背中をぐいぐい押すので余計わからなくなった。
「ねえ入間さん、楽しいですか。焼き鳥」
「まあ、コツがいるみたいですが、楽しいですよ」
 屋台にもどれば、観音坂さんがそう聞いてくる。彼は、俺を屋台に立たせ、焼き鳥を焼かせてから、しきりにそう聞いてきた。なんで急にこんなことをしたんですか、と問えば、隣で鳥を串に刺していた伊弉冉さんが「入間サンのせいでしょ」と言う。
「入間サンが、独歩の友達になるからだぜ」
「はあ」
「入間さん、前に俺に、焼き鳥屋をやりたいっておっしゃったでしょう」
「は?」
「ま~そゆこと」
 そんなことのために、これを用意したのか? 俺が目を白黒させていると、理鶯がやってきて、塩はまだかと聞く。
「理鶯さん、待ってくださいね。今入間さんが焼くので」
「うむ。左馬刻がはやく食べたいと。それと、飴村乱数と神宮寺寂雷にも連絡をとると言っていた。客は多い方がいいだろう。山田一郎は左馬刻が嫌がるだろうから、小官から連絡をいれておこうと思うのだが、良いだろうか?」
「あ、ありがとうございます。入間さんのためなので、よろしくお願いします」
 何が俺のためなのか、俺が焼き鳥屋をやりたいなんて、酔った勢いで戯れ言を言ったから、観音坂さんはそれを本気にして、やらせようとしているのか? 俺はこめかみをもむと、ため息をついた。いたたまれない。
「入間さん、怒るかもしれないって思ったんですけど。でも、なにかしたくて」
誕生日でしょう、と観音坂さんは、小さい声で言った。馬鹿じゃねえのか、と思って、でも、誰かになにかをしてもらったことなど数えるほどしかないものだから、そういうことも言えなくて、俺はただ、「怒っていませんよ」と言うしかなかった。
「怒っていません。でも、こんな、大がかりなことをしなくてもいいじゃないですか」
「だって、入間さんが焼き鳥やりたいっていうからですよ」
「やりたいといっていたからから用意してあげよう、の規模がおかしい」
「いいじゃないですか。できたらいいなができたら良いなのままで終わるよりは、嘘でも笑ってままごとやった方が、いいですよ」
 観音坂さんは、そう言うと自分で焼いた焼き鳥をふうふうと冷まして口に入れた。
「屋台は偽でも、焼き鳥はほんもので、入間さんは警察官だけど、今は焼き鳥屋の屋台で焼き鳥焼いてるでしょ。俺はそれでいいと思うんですよ」
 汚職警官も、夢見たっていいんですよ、と観音坂さんは焼き鳥をひっくりかえした。それは普通の人間はやらないような奇妙な優しさで、どうにも眼鏡の奥の目に煙がしみた。
「おい、銃兎、塩!」
 左馬刻が声を上げる。俺は文句を言いながら焼きかけのもも串をひっくりかえした。どうにもやりきれない気持ちが腹をのたくって汚いらせんを描く。生ぬるい優しさめいたものも、アットホームな雰囲気も、俺には必要がないもので、そして持ってなはならないもののはずだった。それがどうだ。ディビジョンの代表全員があつまって、焼き鳥焼いて? 馬鹿じゃねえのか。それが本当に俺のためだって? そう思うと腹が立って仕方が無かった。
 楽しそうに観音坂さんは生肉に串を刺していて、左馬刻は何本目か分からない串を積んだ。これが俺が求めているものだったとしたら、笑えない。自分の身分を思い出してみろ。入間銃兎、ヨコハマ警察署巡査部長麻薬取締捜査官、麻薬の撲滅のためなら汚職も辞さない。あくどい人間が、嘘でも、、、当たり前の幸福を手に入れるなど、そんなことがあったら、あるなんて、許せるわけがないのだ。
 俺は焼き上がった串を皿に並べて、左馬刻を呼んだ。
「おい左馬刻、こんなクソみてえな砂の城、ぶっ壊すぞ」
そう言って、盟友を見やれば、「お前ならそう言うと思った」とにやりと笑って、串を噛んでばきりと折った。
「やろうや銃兎。俺あこんな生ぬるいおままごともう飽き飽きしてんだ」
「嘘言え、旨そうに食ってたくせによ」

・・・

 そのとき、俺は自分のやったことがどんなに愚かしくて、意味の無いことだったかなんて思いもしない脳天気さで肉に串を刺していた。ときおり一二三が言いにくそうになにかを口に出そうとしていたが、それは無視を決めこんでただただこの嘘みたいな夢の話を現実にすることだけに徹していた。
ああそうだ。思いもしないなんて、そんなことはない。俺はこれがただの馬鹿らしい遊びで、入間さんがこんなふわふわしたお花畑を望んではいないことはちゃんと分かっていたのだ。ただ俺が、彼にそう思って欲しかったというだけなのだ。
 だから、理鶯さんが突然俺と一二三の首根っこを引っ張って、それからすぐに焼き鳥の軽トラに黒いセダンが追突して、はじかれるように、がしゃんと金属と金属がぶつかり合う音が幻のおわりを告げて、そのまま押し出されて軽トラが東京湾にドボンと落ちていったときも、ああ、なるようになるものだな、となんとなく前からこうなることが分かっていたかのように思っていた。
 湾岸に停車した黒いセダンの運転席には案の定入間さんが乗っていて、無言で出てくると彼はポケットに手を突っ込んでがさごそとやった。たぶんたばこを探しているのだろうと思われた。
「なにもかもめちゃくちゃにしてしまいました」
 入間さんは、それだけ言うとポケットからたばこを出して吸った。停車したセダンの助手席には左馬刻さんがいて、眠そうにあくびをしていた。
「すまない、俺もこうするべきだと思った」
 一二三を小脇に抱えたまま、ただただひとり申し訳なさそうにしている理鶯さんがやけに面白く目に映った。「いいよ、俺も独歩も分かってたし」黙りっぱなしの俺の代わりに一二三が答えた。
 その場はまるで積み木が崩れたあとの残骸を前にした園児たちのよう、という表現が正しく思われて、いい年をした大人が何をやっているのか、という後悔めいたものもあった。俺はどう言うべきか迷って、いい言葉が浮かばなくて、ただただぼうっとたばこの煙が海風に混じり合って溶けていくのを見ていた。
「ねえ観音坂さん。卓上の焼き鳥台って幾らくらいなんですか?」
そんなことを入間さんが最初に言った。「二千九百八十円です」俺はすぐに答える。
「ねえ、そんなことも調べたんですか」
「はい。……やっぱり、身の丈に合った方がいいですか」
「そうですね。私ももう夢は見れない年頃なので。今度アパートに来てください。今度はうまく焼いてみせますから」
机上の夢は机上で充分。そう言いつつも、入間さんはこう続けた。
「でも、うれしかったですよ。本当に」

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