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​羊のドリーに祝福を

​​(乱独 正確にはクローン乱数×独歩)

 シンジュクのゴミ捨て場で死にそうに息をしている青年が、まさか知り合いであるなんて観音坂独歩は近寄ってみるまで思いもしなかった。
 いつも着ているグリーンの上着はところどころすり切れており、暴行を加えられたことは明白だった。彼が大事そうに握りしめたマイクを見るに、どうやらラップバトルをやったのだろうということは分かった。
「飴村乱数、さん?」
 独歩が声をかけると、浅い呼吸を繰り返していた乱数は動きはできずとも閉じていた目を見開き、「だれ……」とだけ言った。
「ああ、俺です。観音坂独歩です。すごい怪我だけど、救急車……。警察? を呼んだ方がいいですよね。ああ、先生に連絡したほうがいいかもしれない」
「いい」
「って、そうか。きみは先生のこと嫌いなんだっけ」
「そうじゃない。……ほっといてくれ」
 いつになく低い声で、らしくもない一人称を使って乱数は言葉だけで独歩を制した。じきに迎えが来るから、と付け加えて。チームメイトの夢野幻太郎か、はたまた有栖川帝統か、と独歩が問うと、乱数はそうじゃないと首をゆるく振った。
「俺はそっちの〝ボク〟じゃないから。幻太郎も帝統も、助けちゃくれないさ」
「どういう?」
「選ばれなかったってこと。それで、俺はもう死ぬってこと」
 苦しそうに顔をゆがめて、けれどそれを受け入れているふうに乱数は捉えどころの無い台詞を言う。何が言いたいのか独歩にはわからず、けれど死ぬというのなら放っては置けない。スマートフォンを取り出して、119のダイアルを打ち込んだその手を乱数は「いいから」とまたとがめた。
「おにーさん、もうどっか行った方がいいよ。それで、ここで見たものは忘れたほうがいい」
「そんなこと言われたって。俺は怪我をしている知り合いを放っておけるほど薄情じゃない」
「知り合いじゃないんだ、ドッポ」
 乱数は悲しそうに言った。その言葉の真意を問おうと口を開いた独歩の背中に、「そうだよ!」と明るい声が降り注いだ。
「やっほー。おにーさん。そいつをボクたちに引き渡してよ」
「ハロー! 観音坂くん。元気? なんで居るかなあ? 見ちゃだめなもの見ちゃって、びっくりしちゃった? アハハ。観音坂くんって、いつも間が悪いよね!」
 独歩がはじかれるように顔を上げると、にっこりと笑うあの忌々しい女――仄々と、もう一人の飴村乱数が倒れた『乱数』としゃがむ独歩を見下ろしていた。
「なんで、お前が」
「いいじゃない。それ、もう死ぬでしょ? それを回収したらこっちの仕事はおしまい。観音坂くんはおうちに帰れて、忘れてくれたらいいの」
「飴村さんは先生の旧友だ。お前なんかに渡せるか」
「ハハ! 目の前にいるのに?」
 仄々は隣に立っていた飴村乱数(らしきもの)の肩をつかんで独歩に見せた。「ね、いるでしょ?」
「どういうことだ」
「それはナーイショ。言ったら怒られちゃう。でも、それが観音坂くんの知ってる飴村乱数じゃないのはホント。もちろんコレもね」
「……クローンだ。俺達は中央区の兵器クローン。そいつも俺も、道具なんだよ」
 独歩の腕の中の乱数は、ごほごほと咳をしながら言った。クローン。独歩ははじめその単語を飲み込めず、ぱちくりとまばたきをしてようやくどういうことか理解をできるかどうかといったところだった。
「こら! 言っちゃ駄目じゃない」
「言ったっていいだろ。じきに処分だし。神宮寺寂雷にはもうバレてる。観音坂独歩くらいに知られたって、なんにもなりやしないだろ、こんなこと」
 言うと、乱数はよろよろと独歩の腕の中から立ち上がって、仄々のもとへと壁伝いに向かおうとした。
「おい、まだ傷が」
「いいんだ、どうせ長くないよ」
「そうよ、観音坂くん。それに、飴村乱数は引き上げさせるように言われてるの。他でもないあの子のチームメイトの要望でね」
 仄々はニコリと無邪気な笑みを浮かべて、「バカだよね!」と続ける。そのすべてが独歩の癪に障った。どうしでもこの女の思い通りにはしたくなくて、とっさに独歩は乱数の手を引っ張り走り出した。
「ちょ、おにーさん!?」
「走れるか! 逃げるぞ!」
「お兄さん聞いてた!? 俺はあんたの知ってる乱数じゃない! それに、もう死ぬんだ! クローンの寿命が短いことくらい、小学校で習うだろ!」
 足をもたつかせて走りながら飴村乱数にそっくりなクローンが叫ぶ。独歩はその声すらもわずらわしくて、うるさい! とシャウトした。
「だからって目の前の人間一人救えないなら、俺は死んだほうがマシだ!」
 シンジュクの人混みをかきわけながら、独歩は乱数の手を引いて走った。おそらくこの乱数は、自分の知っている彼ではないのだろう。でも、たったそれだけの理由で生きることを諦めていいようにはどうしても思えなかった。
「バカでしょ! ドッポってこんなバカなんだ!?」
「バカでいい。罵倒はハゲ課長に言われ慣れてるからな!」
 独歩に手を引かれて、乱数が罵詈雑言を浴びせかける。その声には涙声が混じっていた。
「いけるところまで行くぞ。とりあえず一二三と先生に相談して……。お前がどっかで死んだら俺が墓を建ててやる。乱数じゃ困るから、シグマでいいか?」
「それあいつの言い間違いじゃん!」
 ほんとうにバカ! そうやって文句を言う乱数の手はいつのまにか独歩の手を強く握りしめていた。

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