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​働き過ぎだよ! 長谷部君!

​(燭へし)

(本丸)

 

 最近、長谷部くんは床で寝込むことが多くなった。なぜそうなったのか僕は知らなくて、そして他のみんなもその原因をよく知っているわけではなかった。ただ、 つい最近まで前線で活躍していた仲間が心身を壊して床にふせっているというのはあまり気分のいいものではなかった。

 なので、僕は頻繁に彼の元を訪れることになった。長谷部くんはこれを言うと嫌がってしまうのだけれど、僕は彼と気が合うなあと思っていたし、一緒に内番をこなすことも多かったので心配になってしまったのだ。人の面倒をみることは嫌いじゃないし、なにより背筋を伸ばしてきびきびと働く彼の姿が見られないのは少し寂しかった。そういうことだった。

 彼は、はじめ僕の来訪を嫌がっていた。というよりは誰とも会いたくない様子だった。ずっと自分の部屋に閉じこもって、どこにも出ず、何をするでもなく布団にはいっているらしかった。主に聞くと、最近は自分が見に行ってもただぼんやりと天井を見ているだけだと教えてくれた。今は休んで、充電してくれと伝えたとも言われた。

 事態が深刻化するにつれて、彼は僕が来るのを拒絶することさえできなくなったみたいだった。「入るよ」といってももう「来るな」とは言わなくなっていた。僕はいよいよ彼の状態が最悪なものになっているのだと確信した。

 

 ・・・

 

 長谷部くんの部屋に行くことは日課になっていた。

 日当たりの関係で薄暗くなっている部屋に入ると、彼は話に聞く通り床に伏せっていた。しかし、寝ているわけでもなさそうだった。開けた障子の隙間から差し込む光が、彼の目元に浮かんだ隈をはっきりとさせていた。僕は枕元に座ると、「食べ物は欲しくないかい」と聞いた。付喪神として権現し、人の姿をとっているからにはこういうもので栄養をとるのが手っ取り早い方法だったからだ。しかし彼は「ひつようない」と細い声で言っただけだった。その声があまりに頼りないものだったので、僕はやはり何か口にする必要があるな、と思って、長谷部くんには悪いのだけれど持ってきたりんごをの皮を勝手にナイフで剥き始めた。

「ひつようない」

 さりさりという音を聞いて僕が何をしているのか知った長谷部くんは意地をはって、そう言った。でもそんなのは脅しにさえならなかった。あまりにも弱すぎた。こんなのだったら、後虎退くんだって怯えたりしないだろう。

「腹がへってないんだ……」

 できたよ、と用意してきた皿に盛っても、長谷部くんはそう言って口にはしなかった。でも食べないと弱っていくばかりだというのは自明のことだったので、僕は「食べてよ」と皿を長谷部くんの枕元に近づけた。

「いいんだ、本当に」

「でも食べないと」

「食べる資格など」

 またその話か、と僕は顔をしかめた。長谷部くんはまじめだから、食事を未だに労働の対価としてしか考えられないらしい。僕らはもうほとんど人間なんだから、食べなければ生きていけないというのに。

「もう、なにもしたくない。寝かせてくれ」

「そう言って寝てないんでしょ」

「眠れないんだ。しかし、これといって出来ることもない。やるべきことはあるのに」

 寝るに寝られず、しかし体を動かすのさえ面倒で、ただ天井を眺めていると一日が終わるんだと前に長谷部くんは言っていた。こうなってからというものの、いつも長谷部くんは焦っている。布団に寝たきりになってからはどうにかこの状況を打破せねばならないと躍起になっては、気持ちについて行かない体がうっとおしそうだった。あせってもどうにもならないこともあるとは分かっていながら、どうにかしようともがいているようだった。

「今は、休むのが主命なんだから。疲れをとりなよ」

 僕はいつもの台詞を口にしてなだめようとした。そういうと、いつも長谷部くんは虚ろに「そうだったな」とだけ返すのだ。でも本当のところは聞いちゃいないということは僕もよく知っている。それが分かってきたのは最近のことだ。なんせ、最近の長谷部くんはおしゃべりだから。

「主は俺を許してくださる。失敗をしても、手を抜いても、お休み、疲れてるんだよと言ってくださる。 だが、疲れじゃないことは俺自身がよくわかっている。そもそも疲れだとしても、それは自分の体調管理の甘さのせいだ。だのに、主は気にするなと仰る」

 長谷部くんの声は震えている。僕はそれを黙って聞いている。こんなとき、かけるべき言葉を僕は知らない。

「俺は主命はきちんと果たしたい。理想的なしもべでありたい。しかし、許されるのは気分がいい。そもそも、なにごとも楽な方に楽な方にと流れて行くのがほとんどだ。俺だってそうだ。知らなかっが」

 僕もそうだ、楽な方がすきだと言ったらいいのだろうか。でも長谷部くんはそんな暇さえ与えてくれず、うわ言のようにつづけた。黙って聞いて欲しいというのだろう。

「ああ、でも。本当は止めてほしいのだ、叱咤してほしいのだ。何をしても許されてしまうから、どこまで許されるのか知りたくなる。その結果がこれだ……。もうどこにも行きたくない。寝ていたい。寝かせてくれ」

 そこまで言うと、長谷部くんは目を閉じた。青白い顔だった。今にも死にそうだと思った。実際僕たちは死んだりしない。肉体的な死はない。ただ、この世に権現できなくなるだけだと主からは聞いている。でも僕らは、それは嫌なことだと思っている。恐れてすらいる。だからせめてりんごは食べてほしいと思ったので、僕はりんごの乗った皿をいっそう長谷部くんに近づけた。

「たべてよ。病気になるよ」

「俺たちは病気にはならない」

 君のその状態が、病気以外の何だっていうんだという言葉をすんでのところでのみ込んだ。あんまり考えさせてはいけないからだ。いつも彼は考えすぎなんだ。

「もうなにもしたくない、がんばれない。がんばりたいのに、もう無理だ。いや無理じゃないんだ、無理じゃない。でも、そう、甘えている。主の優しさにあぐらをかいて、そうして、ああ……もう嫌だ、いや嫌じゃない。全然嫌じゃない。嫌なのはいけないことだ。俺はいけないことをしている」

「ああ、もういいから。そんなに考え込まないで。とりあえず食べて、寝て。それからだよ」

 僕は喉に詰まるかもしれない、と思いつつも彼のよく動く口に切ったりんごの端を突っ込んだ。長谷部くんは呻きとともに暴走した思考を停止させ、もぐもぐと黙ってそれを咀嚼した。それを見るとやけに安心した。

 全部食べ切ったのを確認すると、僕は皮の乗った皿とナイフを手にして立ち上がった。今日はわりかし調子のいいほうだ。よく喋ったし、ちゃんと食べた。これが出来ない日もあって、そんな日は持ってきたものをそっくりそのまま持ち帰らないといけない。

「燭台切」

 「じゃあ、また来るからね」と告げて障子に手をかけた時だった。長谷部くんが僕を呼んだ。久々のことだった。

「俺を刀解してくれって主に頼んでくれ。使えないからと」

「冗談言わないでよ」

「……ああ、やっぱり駄目だ。本当は、いつか、いつかまた前のように役に立ちたいのだ。前のように、休む暇なく働いて……普通に、他の刀剣のように。そして、主の一番の刀に」

 僕は磨耗してなまくらになった刀を見た気分になった。真面目なやつほど、割を食う。そして、長生きはしない。彼は戻れるんだろうか。完全に信じることは難しげに思えた。でも、それでもいいのかもしれないとも思った。彼は働きすぎるから。

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