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​キングはポーンを守らない

​(東リベ 灰はる チェスをする)

「王を守るのが家臣(ポーン)の勤めだ」
 そう言った三途をちらりと見やると、灰谷竜胆は三途のポーンをすかさず奪って、ブラックのナイトをそこにかつん、と置いた。
 三途はボードゲームを好んでやった。まだ彼が未成年だった頃は将棋をやっていたらしいが、反社会組織にすっかり染まってしまった今になってはショットグラス・チェスなんていう野蛮な遊びに変化していた。
「守りだけじゃ、勝てないんだけど」
 竜胆はショットグラスからテキーラを飲み干して、頬杖をついた。三途春千代という人物は、薬にハマるだけあってあまりにも夢見がちだ。ヤクを飲むヤツは、そのトリップで見る夢が希望に満ちていると信じているヤツだ。だから、三途は誰よりもロマンチストと言えた。少なくとも、チェスのキングはマイキーではない。前後左右に一マスずつしか動けないかわいそうで無力な弱者だ。そのコマを残しておいたからといって、一発逆転が狙えるわけではない。
「キングは大事だ。キングさえ残っていれば勝ちだし」
「三途、でも周りに誰もいなかったら、キングは身を守れない。チェスに於いてはな」
 酒に酔った頭で、竜胆は次の一手を考える。明らかに三途は負けていた。攻め手に出すぎているせいだ。三途はキングがか弱いコマであるということを認識できないから、そんな風な無理矢理な攻め手をするのだろうと想われた。こいつには梵天のブレーンは荷が重い、と竜胆は想った。そこで、応接室の扉がガチャリと開く。
「竜胆、なにやってンの?」
 仕事から帰ってきた兄貴――灰谷蘭は冷たい目で竜胆達のことを見下ろした。蘭はどんなものも冷淡に見通す瞳で盤面を見ると、「ハルちゃん、もう詰んでるじゃん」とヘラリと笑った。どうも竜胆の兄は地頭の回転がいい。
「おおかた、キングを守ることに固執して、ほかのコマを犠牲にしたんでしょ。馬鹿だねハルちゃん」
 蘭は口を開けて笑って、三途の肩を抱いた。そして革張りのソファに滑り込んで、三途のキングを取り上げてグラスの中身を飲んでしまった。ごくり、ごくりと蘭の喉が上下するのを、竜胆も三途もじっと見ていた。見ているしかできなかった。
「ンなにやってんだよ、馬鹿蘭!」
「俺は馬鹿じゃないよ、馬鹿なのは春。こんなのが大事?」
 蘭は、ぷらぷらと空になったグラスを三途の目の前で揺らす。そして、無造作にぽいと放り投げた。王の形をしたガラス細工は、床で割れて飛び散る。そのなんと脆いことか。三途の大事なものは大概こういう風に奪われていったものなんだろうな、と竜胆はぼんやり想う。
「兄貴、まだゲームしてたんだけど」
「いいじゃん。どうせこのまま続けてもお前が勝ってたよ」
「そうだけど」
 ちら、と竜胆は三途の顔を盗み見た。かわいそうに、うつむいて震えている。三途はそもそも反社会組織に向いてない。むしろ『そちらに搾取される側』が似合った。竜胆は彼を可哀想と思ったことはなかったが、馬鹿だとは想っていた。蘭はおそらくおもちゃぐらいにしか想っていないだろう。なんていったってサイコパスだから。
 そうして蘭に肩を抱かれた三途は、ぶつぶつと何かを言った後、ポケットにあった薬を握りしめて、慣れた手つきでプチプチと包装をはがし、残ったテキーラで一気飲みをした。そうして夢に逃げるのがこいつの悪い癖で、かわいいところだ。
「春、また逃げたの? 俺に正論言われちゃったから? 馬鹿だね」
 蘭は機嫌がよさそうだった。三途と出会ってからの蘭はいつも楽しそうに竜胆からは見えた。いつも背中を追ってきた兄のことだから、よくわかる。
「兄貴、機嫌良いな」
 竜胆が長い髪を払いながら口を開ければ、蘭は「ア?」と急に凄んで見せた。
「機嫌なんかよくねえよ。最悪だ。三途といるとどうにもイラつくし」
 それにしてはよく構うではないか、と竜胆は思った。竜胆だって三途のことは嫌いではない。か弱くて、執念深くて、敬虔なマイキーの信徒。この信仰をもし、自分に向けられたら、と想像したこともある。こんな美しい顔の男に、膝をつかれる王に対して、憧れないわけではない。だが蘭はきっとそんなことはちっとも思っていないだろう。
 むしろ、その心を折って、めちゃくちゃにして、ぼろぞうきんになった三途を見て愛を感じるような人間だと思う。だから、蘭のそのイラつきというのは、おそらく彼なりの『愛』であると、竜胆は踏んでいた。だからといって直接彼に言うわけではなかったが。
「やっぱ兄貴は、機嫌良いよ」
「そうかよ。ハルはODでもう使いモンになんねえし。竜胆、どっかに持って行ってよ」
「ハイハイ」
 荷物かなにかのように渡された三途の体は、身長のわりに軽かった。こんながらんどうの体に、蘭も竜胆も自身の欲をぶつけているのか、と竜胆は自虐的に想った。
 
 終
 

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