top of page

​本当のさいわい

​(ココイヌ 梵天軸)

「お金で買えないものがあります」
 嘘だ。買えないものはない、買えなくても、たいがい金でどうにかなることばかりだ。
「それはなにか分かる?」
「愛、そして命」
 それも嘘だ。少なくとも、九井一に愛をくれたひとは、金で命がどうにかなった。あのときのオレは、金がなかったからあの人の命も愛も失った。
 この世の中は嘘ばっかりだ。退屈で目障りなメロドラマから目を離して、オレは株価の変動をチェックした。このグラフの上下をみているほうが、あんな嘘ばっかりの三文ドラマより断然楽しい。数学は嘘をつかない。グラフにおべっかはない。そんなことを信じているような性格だからオレは、青春時代を一緒に過ごしたアイツ――乾青宗みたいに「ほんものの不良」にはなれなかったんだと思う。
 クローズだとか、ワーストだとか有名な不良漫画にでてくる不良っていうのは青宗のように暴力がすべてで、圧倒的な暴力を振るえるやつがいちばん偉かった。でも、オレはそういう不良にはならなかった。なれなかったとも言う。ケンカはもともとそこまで強くないし、となると頭を使うしかあの縦社会で生き延びるすべはない。喜ぶべきか呆れるべきか、暴走族のメンバーっていうやつは年少あがりが多く、たいがいが頭のデキがよくなかった。それは青宗もおなじだった。あのころのアイツと言ったら、ケンカはめっぽうつよいくせにどこかぼうっとしたところがあったから、どうにも放っておけないオーラがあった。義務教育時代のほとんどを塀の中ですごしたぶん、常識を知らず浮世離れしたところがあったんだと思う。
 自分はそんな馬鹿・オブ・馬鹿達のなかで一線を画した存在だった、と自負している。インテリの不良とでも言えばいいのだろうか――まあ、ただの喋る財布くらいにブラックドラゴン第十代総長の柴大寿には思われていただろうが。とはいえ財布扱いにされているのは成人した今も変わりが無い。
「ココ、なに見てんの」
 灰谷竜胆が、上等なスーツを整えながらパソコンとにらめっこをしているオレに声をかけた。そのカルバンクラインのスーツもオレが買ってやったものだった。
「株価。あと最近の資金洗浄の進捗」
「ココは勉強熱心だなァ。ま、オマエのお陰で梵天は困窮しないで済んでるから、お仕事ごくろうさまとしか言えないけど」
「そうだ。オレはカチコミにあったら一番に死ぬだろうから、守ってくれよ。大事な財布はしっかりポケットにいれといてくれ」
 まだこの組織で会話が通じる方の竜胆は、いいよ、とにっこり笑って拳銃をくるりと回した。銃刀法違反とかいうナマを言うヤツはもうここにはいない。ここは子どもの暴走族ごっこの現場ではない。
 ここには大寿はいない。そして、アイツもいない。オレひとり。これが青宗に言った自分の道の果てなら、「ほんものの不良」になれなかったオレは「ほんものの犯罪者」になる道を選んだのだと言えた。その昔の昔からオレと青宗はどこかかみ合わない、形の違うパズルのピースが隣り合っているような雰囲気だったが、もしかしたら、オレには犯罪者の才能があって青宗にはなかったから――つまりは彼が「ほんものの不良」でオレが「ほんものの犯罪者」であったから、オレとは上手くいかなかったのかもしれなかった。そう考えると赤音さんのことがあってもなくても、オレたちはいつかどこかで決別していたような気がした。
 生来、大寿のような人間を、青宗は好んだ。その圧倒的な暴力に不良的かっこよさを見いだしていたんだと思う。でも、オレはべつに大寿が好きではなかった。あのときのオレは青宗に捨てられないように必死になっていたから、それで一緒にいただけだ。
 赤音さんのことをずっとずうっと、その美しい顔に重ねることをやめられないオレのことを青宗はどう思っていただろうか。自分が助かったことをどう思っていただろうか。オレには聞く勇気がなかったから、離れてしまった今それを聞くすべはない。
「ココ、クスリ買いたいから資金回して」
「頼むからオーバードーズはやめろよハル。後始末が面倒だ」
「竜胆には関係ねェだろ」
「グロッキーになったオマエを持って帰るのだいたいオレでしょうが……」
 金を持っていると、周りに人間が寄ってくる。オレは三途春千代に現ナマをいくらか渡してやった。竜胆がいさめているが、どうせ三途は違法薬物をオーバードーズするだろうと思う。
 梵天での日々が悪いわけではない。反社だろうが、自分の居場所があるっていうのは悪い気分ではなかった。オレには犯罪者の才能があったから、ここがきっと居心地がいいんだとぼんやり思う。ただ、こういうときに思い出すのは、年少から帰ってきたばかりの彼が、まどろみながら文庫本片手に図書館の窓に座っていたあの日々だった。

・・・

「イヌピー、何読んでンの」
「わかんね。鉄道のハナシ」
 そうやって渡してきたのは、子ども向けに編集された宮崎賢治の「銀河鉄道の夜」だった。青宗は読み書きがあまりうまくなかった。でも、本を読むのはそこまで嫌いではないようで、金を稼ぐための勉強をするオレのところにやってきて、児童文学ばかり読んでいた。
「銀河鉄道の夜じゃん」
「……ザネリってやつは、最低だ」
「そういう感想言うヤツ初めて見た」
「ココは読んだことあるのか?」
 日の光に照らされて、特攻服を着た人間とは思えないほどのおだやかさでそのあおい瞳を、赤音のそっくりの顔を、オレに向けて青宗は聞いた。馬鹿だな、オマエが年少入ってる間に読んだよ、と言うと、ココは賢いな、とよくわからない褒め方をされた。
「ほんとうの幸いって、なんなのかってオレ考えたけど。やっぱどう考えてもカムパネルラがいなくなって、ジョバンニがひとりになるのは違ェきがすんだよな」
 残された方も絶対に不幸だ、と青宗は言った。そうだな、とオレも言った。そのとき頭の中にいたのは赤音さんだった。青宗のことではなかった。なんとひどいことにも、だ。
 
  ・・・

 

 オレはいつも、失ってから気づいてしまう。
 あの、カムパネルラとジョバンニは青宗とオレだったのだ。そう、やっと大人になって気づけた。あのとき、ずっと一緒にいこうねえ、ときっとあの本にでてくるジョバンニのように青宗は思ってくれていた。カムパネルラのように青宗にとってのいちばんのさいわいを、オレはいつも考えなかった。オレはいつも自分勝手だ。
 あそこで決別を選んだことを間違ったとは思っていない。「不良」を「犯罪者」にするわけにはいかないから。オレの行く道は、きっと青宗には似つかわしいものではないから。
「オレがジョバンニだったら、カムパネルラを絶対に連れて帰ってた」
「イヌピーらしいな」
 でも、あの、図書館の窓辺で、本当の幸いをみつけようとした青宗が、ずっとオレの背中を見ている。本当にそれでよかったのかと、責めるように見ている。赤音さんにそっくりの美しい顔で。 

 

 

 

END

©2019 by NEEDLE CHOO CHOO.com。Wix.com で作成されました。

bottom of page