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​豚の貯金箱

​(東リベ ココイヌ ワンドロ「貯金箱」)

  乾赤音は、とある日に二人の子どもに豚の貯金箱を与えた。九井一はたいそう喜んで、それに硬貨を入れ、チャリンと音が鳴るたび彼女を思い出した。乾青宗は無関心なりにそこに買い物ででた端数の小銭をぼちぼち入れていたようだった。
 やがて一のそれは、豚の貯金箱ではなく無数の口座になった。青宗は依然として焼け残った古びた貯金箱に小銭を入れていた。一がネンショウからの出所祝いに出した札を、青宗は貯金箱に入らないからと断ったのは記憶に新しい。。
「イヌピー、それでなに買うんだ?」
「決めてねえ。でも大事なモン買うときに開けるつもりだ」
 二人のたまり場に置かれるようになったすすけたそれに、まだ青宗は律儀に貯金をしていた。一は彼の大事なものが分からなかった。もちろん、赤音が死んでしまった今の自分にとって大事なものすらも。
「大事なもの、ねえ」
 舌で唇をなめながら、一は思考する。なにを買うつもりなのだろう。バイクか、特攻服か。今の青宗に大事なものがあるとすればそういうものしかないと思えた。
 チャリン、と硬貨の落ちる音がする。
『大事なものを買うときしか、開けちゃダメだからね』
 一は幻聴を聞いた。赤音の声だ。結局一のそれはどこに行ったのだっけ。考えても見当もつかなかった。

 ・・・

 

「なあ、ドラケン」
 D&Dでナナハンの整備をしていた青宗が、龍宮寺堅に声をかけた。二人で経営する上で経理の側面を担う堅は、収支のチェックをしながら青宗に向かって「なんだ」と返した。
「保釈金って、いくらでハナシつけられンのかな」
「300万とかじゃねえ?」
「じゃあぜんぜん足りねえか」
 青宗は、バックヤードにある豚の貯金箱を見た。バイク屋のオブジェになっているそれに、青宗は毎日小銭を入れている。豚はもうまるまると太って、ずっしりと重い。
「捕まる予定でもあンのかよ」
「ないけど、一応」
 ぼんやりとしたその青い目は堅を見てはいなかった。その視線の先には、今はもうどこで何をしているのかもわからない、一の姿ばかりがあった。もし、彼が警察に捕まるようなことがあったら、自分はこの貯金箱を割るだろう、と青宗はずっと思っていた。彼と決別してからずっと。
 『大事なものを買うときしか、開けちゃダメだからね』
 記憶の中の姉が言う。そんなの、分かっている。分かっていた。青宗にとって大事なものなど、一以外にあり得ない。遠くに行った幼馴染。そばにいることだけが正解じゃないと青宗も分かっているから、もう何年もわざわざ連絡をしたりしてはいない。でも、もしものことがあったら助けられるのはきっと自分だけなのだから、という切なる思いばかりがあった。
 バイクを整備して暮らす、この穏やかな日常が嫌いなわけではない。寧ろ好ましく思う。好ましいだけに、隣に空いた席のことを考えてしまうのだ。
 青宗は貯金箱に五百円を入れた。チャリン、と音が鳴った。大事なものは、昔から決まっていた。あの、カーテン越しに勉学に励む一を見ていたあの日――それより前からずっと。
 
   

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