身勝手なのは大嫌い
(ミルグラム 0307 げんパロ)
「なあ、このホームから淀屋橋駅は行けるかな」
まだ夕方にもなっていなかったので、なんば駅のホームはそれほど混んでいなかった。もうじきに退勤ラッシュが続くだろうというところだ。ホームに並ぶ老若男女、たいがいが自分の手元に夢中のなか、フータは男性に声を掛けられた。
ゲーセンからの帰りで、SNSの監視に夢中だったフータは、は、と顔を上げる。
「ああ、ごめん。おじさん詳しくないから……この辺」
そこには、年かさの、すらっとした男が立っていた。それはどこかフータの親に似ているような気もした。男は、照れたような仕草をして、「仕事でさ。大阪に来るのは久しぶりなんだ」と言った。
「ああ、これ御堂筋線だから、すこしでつくだろ」
「ありがとう」
そう言って、スーツの男はフータの横に並んだ。またフータはSNSの監視にいそしもうと、スマートフォンをパーカーのポケットから取り出す。だのに、隣の男は頼みもしないのにフータに話しかけてきた。
男はカズイと名乗った。うっとおしい、とフータは思いながらも、なんとなく安心する語り口に、いつの間にかフータも男に合わせて話していた。カズイは気さくで、優しい男だった。フータが通う四年制大学の周囲には絶対にいないタイプで、実家の親のようだと最初の印象と同じように喋っていると感じた。
「親みたい? はは、子どもはいないんだけどな」
カズイの薬指には、指輪が填まっていた。結婚しているが子どもはいない、といったところだろうと見当がついた。カズイは君みたいな子が子どもだったらいいかもな、と笑ったが、どう考えてもフータのことを未成年だと思っている態度に「20歳だぜ、オレ」とついつい年齢すら初対面の人間に明かしてしまった。
「20歳! そりゃ失礼したね。でもおじさんにとっては、20歳も子どもかな」
「ふん、そういうおっさんはいくつだよ」
「いくつに見える? なんてね、もうアラフォーだよ」
SNSで身バレを気にするフータが、リアルで、しかもこんな少ししか話していない相手に個人情報を明かすことなど初めてのことだった。
別にホームシックだったわけではないが、純朴な青年であるフータはこの親のような包容力のある男にすっかり心を許してしまっていた。
「ありゃ、淀屋橋すぎちゃったな」
地下鉄の駅は間隔が狭い。梅田駅に着いた列車から降りると、話し込んでしまったとカズイは照れ笑いをした。仕事じゃないのか、とフータがせっつくと、あと2時間はある、とカズイは言う。
「こう見えて俺は不良なんだ。フータは? 時間あるかい?」
夕飯でもどうかと言われ、こんな得たいの知れない男などとするものか、と思いつつ、月末で金のない学生にはその誘いは魅力的だった。
「初対面の人間とメシ食いに行くように見えんのかよ」
「おじさんが払うからさ、な? あ、今のパパ活みたい?」
「男と男じゃパパ活になんねーだろ……」
そうしてだべっているとすっかり毒気も抜けてしまい、躊躇もやはり存在したが、フータはカズイの誘いに二つ返事でオーケーした。
駅ナカのラーメン屋で、二人は話を続けた。カズイは面白く、人を惹きつける魅力があった。また、人一倍おおきい、異常とも言える正義感のせいで同じ年頃の友だちができないフータにとっては、新しい友達ができたかのようであった。初対面なのにそう思わせてくるカズイはやはり、ただものではないように思えた。
「おじさん単身赴任でしばらく大阪にいるからさ、また話してくれよ」
カズイはそう言って、メッセージアプリのIDを渡してきた。「出会い系じゃねーんだぞ」とフータは文句をいいながらも、その紙を大事に財布にしまった。久しぶりに生の人間と話して嬉しかったのだ。
・・・
それからしばらく、カズイからメッセージが届くようになった。こいつおじさん構文だろ絶対、とフータは思っていたが、実際はそのようなことはなく、絵文字の少ない文面に「今なにしてる?」なんてSNSの入力画面みたいな――それか彼女だ――メッセージが晩ごとに届いた。
はじめはカズイが送ってきて、それにフータはぞんざいに返すだけだったが、毒にも薬にもならないやり取りを続けるうち、だんだんとフータの方からも送るようになってしまった。
フータは学校の愚痴や、ゲームのことをカズイに話した。そうすると、カズイはどんな話題でも真摯に聞いてくれたので、いつの間にかフータのなかで、カズイはどんなインターネットの友人より信頼できる相手となっていた。
それから2週間、カズイとフータはメッセージのやり取りを続けた。意外にも、2度目を欲したのはフータの方だった。『メシでも行かね?』なんて文面を送ってから、フータは自分が途方もなく寂しいのだと気づいた。親元を離れて、友達もできず、ゲームばかりしている生活に飽きていた。刺激が欲しかったのだ。
「ほんとにパパ活じゃねーか……」
かわいい犬のスタンプとともに、『いいね、いつがいい?』と返事が来たのに即既読を付けてしまい、フータは顔を覆った。次の土曜日、と打ち込んで、それからすぐにスマートフォンを放り投げる。自分ばかりが振り回されている気がして、嫌になったからだ。
それからトントン拍子に話がすすみ、晴だから花見でもしよう、という話になって、フータは桜で有名な河川敷でカズイと会うことになった。いつものフードつきのパーカーに、黒マスクで待っていると、カズイは白いワイシャツの上にスプリングニットのベストを羽織ってやってきた。
「花粉症?」
「ちげーけど、一応。あと酒買ってきた」
「ありがとうフータ。へへ、おじさんビールがいいなあ」
「おっさんくせえ~~~~」
「いいの、おじさんだから!」
フータの持ってきたレジ袋を勝手に漁りながら、カズイは楽しそうに笑う。二人はいつの間にかすっかり打ち解けた感じになっていた。
一番のやつを開けて嬉しそうにしているカズイと、あまり度数の高くないチューハイをあおる仏頂面のフータ。フータは、大学に入って、自分は友だちと呼べる存在とこういうことがやりたかったのかもしれないと少し思った。だが、そうはできないのがフータのなじめないところだった。
ツマミをつまんで喋っていると、フータも酔いがだんだんと回ってきて、カズイに向かって「大学なんてろくでもない」と言い出した。
「同級生なんてカスばっかだぜ。オレが19のとき、医学部のバカがイッキして死んだし……」
「アハハ、でも大人もそんなものだって言ったらダメかな」
「ア? おっさんもそういうことすんのかよ。失望したぜ」
「違うって。大人の世界も大学も、そんなに変わらないって話。いやなことばっかりだ」
カズイのその顔が曇っていたので、ハッとフータは酔いがさめて、帰ろうと口に出そうとした。だが、カズイが先にそれを制し、真っ青な潤んだ瞳で、「帰りたくないなあ」と言った。
「ど、どういう意味だよ……」
フータはたじろいで、目をそらした。カズイの言いたいことが分かったからだ。パパ活みたい、なんて冗談をいうくせに、ほんとうに〝そういう〟色を出されてもフータには理解にほど遠かった。ヤバイ、と逃げないと、と言う気持ちがフータの胸を支配した。
「いや、なんでもない! 冗談だって。アハハ」
「クソ、冗談言うなよな。オレ男だし、そういうの興味ねえし」
じゃあ帰るから、とそそくさとフータは荷物をまとめる。ああ、嫌な思いをした。やっぱり、よく知らないヤツと連絡先を交換したり会ったりするもんじゃない、と舌打ちをする。一方で、そんなフータをカズイはじっと寂しそうに見ていた。
それが、どうにも飼い主を失ったペットみたいで、フータは我慢ならなかった。この男が悪い人間ではないのは分かっていたから、なおさらこんな態度を取ってしまう自分が恥ずかしかった。この男はおそらくバイで、酔っ払って自分にそういう声をかけてしまったのだろうと察しの良いフータは気づいていた。それだけで逃げてしまうのは可哀想ではなかろうか? ともう一人の自分が言う。
なにが正しいのか分からなくなってきて、保険で買ってきていた9パーセントのアルコールを一気飲みし、ぐるりと回った酔いで、フータは吐いた。
・・・
「ベッドで休んでた方がいい。俺はもう出るから」
具合を悪くしたフータを、カズイは近くのビジネスホテルに連れていった。カズイはそれなりに鍛えているようだったので、小柄なフータを運ぶことなど容易だった。
フータの気持ちを察してかどうかは知らないが、ホテルにフータを寝かせるやいなや、カズイは逃げるように家へ帰ってしまおうとした。このままではもう会えないかもしれない、と思うと途端にフータは寂しくなってしまって、拒絶したのは自分の方なのに、「逃げんなよ」と口にしていた。
「逃げてなんか、だって、フータ」
「るっせ、……あ~~~~、酒でちょっと余計なこと言っただけ。帰りたくねえんだろ」
思えば、フータは自分のことばかり話していた。カズイがどういう人間か、知りもしないで寄っていったのは自分だ。それは不誠実だ、と感じた。警戒心が足りない、とも言うのかもしれないが、少なくともフータにとってはそうだった。
「居ればいいじゃん。そりゃ……そういうことはできないけど」
フータは隣をトントンと叩いて、カズイをベッドに座らせた。カズイはやはり帰ろうとしたが、フータが逃がさまいと睨むので、しばらくそのままでいた。
「なあカズイ。どうして帰りたくないなんて言ったんだ?」
「ああ……。ただちょっと寂しかっただけで。他意なんかなかったんだ」
それから、カズイは自分がゲイであること、そして政略結婚で女性と結婚したものの、愛するのは難しいこと。それがどうにも寂しいこと。そういうことをぽつぽつと話した。
「あーあ、こんなこと、話すつもりなかったのになあ……」
カズイは後悔するように、頭を抱えた。この男もどうしようもないさみしさを抱えていると知るや否や、フータはああ、こいつも自分と同じなのだ、世間となじめないでいる、すこしずれた存在なんだと理解した。
「なあカズイ。こっち見ろ」
そう声をかけて、フータは情けなく髪の乱れたカズイの顔を自分のほうに向けた。そして、軽くキスをした。キスはゲロの味がした。
「そういうことはしないんじゃなかったのか?」
「ちょっとだけ、なら……。いいかなって」
「ほんとに? おじさん、調子乗るけどいいの?」
「うるせえな。いいっていっただろ。気持ち悪かったらやめるし……」
キスはゲロの味がしたにもかかわらず、男としたというにはあっさりしたものだった。こんなもんか、とフータは思った。
「準備してくるから、ちょっとだけ待ってくれないか」と言うと、すっかり性の雰囲気を纏ったカズイは、洗面所に消えていった。
・・・
シャワーを浴びたフータを、カズイはベッドで待っていた。「セックスしたことある?」と、覆い被さって固まるフータをカズイはからかう。
「ねえけど、別にいいだろ」
「おじさんで良かった? 女の子じゃなくてさ」
「いいって言ってンだろ、ヤるぞ」
ごちゃごちゃとうるさいカズイに、フータは噛みつくように口づけた。2度目のキスは石鹸の味がした。ヒゲが顎に擦れる感覚も、肉厚な舌も、ともに女の子にはないものであったのに、違和感はあまりなかった。異性愛者のはずなのに、男なんて、と一度はビビったはずなのに、カズイと絡める舌はどうにも気持ちがよかった。
「んっ……、キス、気持ちいい?」
「るっせ、黙ってろよ」
口を合わせながら、フータはバスローブの合わせ目から男のからだに手を這わせた。ごつごつとした筋肉も、今のフータには興奮材料にしかならなかった。
「まあ、そんなにせっつくなって、フータ」
「別に急いでなんかねえよ……」
カズイは急いて行為を進めようとするフータを優しく止めて、身を起こした。そして、四つん這いになると、フータの股間に顔を埋める。
「はは、硬くなってる」
すり、とパンツごしに半勃ちの性器を触られ、からかわれてフータは顔を真っ赤にした。そのまま、カズイはフータのパンツをずらして性器を露出させ、「元気」と笑う。
「な、バカ、勝手にするな!」
「おじさん、口上手いんだよ。ほら……まずはしゃぶってやるから、大人しくしてなって……」
口の前でわっかをつくり、ぱか、と口を開けて、粘膜を見せつけるカズイに、フータはドキドキしっぱなしだった。そのまま、ぱくりとフータのペニスを食ったカズイは、根元から先端に向かって、アイスクリームでもなめるように奉仕した。
「ちょ、カズイ……!」
「ん……。は、ふふ、かわいい」
「うっせえ、っ、すっげ……気持ちいい……」
じゅぱじゅぱと音を立ててしゃぶるカズイに負けたくなくて、彼の髪の毛を粗雑に掴んでフータは射精を耐えた。だが、はじめてのフェラチオはあまりにも刺激的で、その口内に射精してしまう。
「う、出る、カズイ、はなせ、出るから……!」
「ん~~? 出せよ、ほら」
「~~ッ!!!!」
フータの精液を口内に受け止めたカズイは、また口を開けてそれを見せつけると、ごくりと飲み下した。大きな喉仏が上下していくのを見ると、またフータは興奮して、ゆるゆると性器をたちあげた。
「飲むヤツがあるか!」
「へへ、飲んじゃった。ごちそうさま、なんてね」
そのままカズイは、フータの上に乗り上げると、その性器を自分の後穴に導いた。ぬるりと濡れた感触がして、フータは男がローションを仕込んでいたことに気づく。
なんとなくカズイは〝そっち〟だろうな、とは思っていたものの、挿入するとなるとフータは緊張して、神妙な面持ちになってしまう。それを察知したカズイは、上から「やめる?」と聞いた。
「やめるわけねえだろ。ここまできて……」
「だって、フータはゲイじゃないだろ。男としたこともないし。別に入れなくても俺は……うわあ!」
火事場の馬鹿力ともいうのだろうか、フータはぐちゃぐちゃとうるさい男の体を引き倒し、「今更遠慮してんじゃねえぞ」と脅した。それから、カズイの肉付きが良く重い足を担ぐと、その柔らかくなっているアナルに探り探り挿入した。
「う、きっつ……」
「ふー、た。あ、こら、急にはっ」
「うるせ~。気持ちいいくせに」
「そりゃ、そう、だけど……」
やっとカズイの余裕を崩せた気がして、フータは図に乗って律動を開始する。すると、漏れ出すようなあえぎをあげて、カズイは身も世もないふうにもだえた。ひとまわりもふたまわりも年上の男を良いようにしているという、途方もない優越感がフータを襲った。自然と口角があがり、獰猛な笑みを浮かべてフータはカズイの足を持つ手の力を強くした。跡でもなんでもついてしまえばいい、と思いながら。
「あ、だからッ、もっとゆっくり、フータっ」
「だって、こんなん止まれねえだろ……!」
「こら、もう、ああっ。ちょ、おじさんそこ弱いから、そこばっかは、フータ、ふうっ。あっ」
シーツを握りしめて、甘い声を漏らしながら、カズイは先走るフータを叱った。だが、フータは止まらない。弱い、と言われたところをガツガツと突いて、「イけよ、ほら」と意地悪く笑う。
「いや、後ろでイくとつらいんだって、え……!」
「知らねえ、ほら、さっきの仕返しだっつの」
「ふー、たっ。謝る、あやまるからっ、おじさんが悪かったから、ちょ、ほんと、止まっ……。~~~~ッ!!!!!!」
「ぐ、締まっ……」
ほどなく、カズイは達した。ぎゅうと陰茎を抱きしめるように締まる肉壁に、たまらずフータも射精する。熱くてとろとろのそこに、白濁が流れ込むイメージがフータの頭に浮かぶ。カズイは、下っ腹を撫でながら、「はあ、おいおい、中に出すなよ……」と言った。その仕草が妙に色っぽくて、フータは顔を赤くした。
・・・
フータが寝て起きると、カズイの姿はなかった。しかも、ものすごく腹の立つことに、手切れ金とも言いたげにホテル代と数万円が置いてあった。これにフータは激高して、カズイに即座に連絡を取ったが、一向に既読はつかなかった。
「あのおっさん……!」
フータはギリと歯を食いしばって、怒りに震えた。こっちの覚悟も知らないで、あの男は逃げたのだ。ホテルから家に帰り、電話を掛ける。鬼電で怒られてもよかった。怒りたいのはこっちのほうだからだ。
『もしもし……』
「おい、カズイ! 逃げやがったなこの野郎……! あ? 何度も言うけどこっちはパパ活女子じゃねえんだぞ、数万貰って喜ぶくらい性根は腐ってねえんだよ。っつーか、無視しやがって、オレが怒ってると思ったのか? 怒るってわかるならやんなよクソが!」
『フータ、ああ……。ごめん。ほんとに……』
「ごめんで済むなら警察はいらねーんだよ! 逃げんな! 今いるのどこだよ、クソ、金返しに行くからそこから動くんじゃねえ!」
『家だよ。本当にごめん。そんなに怒るとは思わなかったんだ……。俺、ヘンなところで怖がりでさ。セックスしたら怖くなっちゃった。自分で誘ったのにな。ハハ』
「な~にが怖くなっただ、オレがどんな気持ちで……。あ~~~~、家行くぞ。どこだよ住所教えろ。じゃなきゃネットにテメエのことあることないこと書き込む」
何回も掛けてやっと繋がった電話口に、ツバを吐きかけそうになるくらいフータは怒鳴った。カズイは弱々しい声で、ごめんを繰り返す。なんつう駄目な大人だ、とフータはあきれかえって、家の住所を半ば恐喝のように聞き出した。
「今から行くから。ぜってえ逃げんなよ、居留守使ったらぶちのめす」
『来てどうするんだ? お金は返してもらうとして、俺となんかもう会ったってしかたないだろ。こんなだし、子どもに手を出しちゃう最低なおじさんだし』
「キスする!」
『……は?』
「歯磨きして飴なめて待っとけ、キスして、それで、不倫相手になってやる」
『いや~~~~、フータ? 正気か?』
正気も正気だ、とフータは電話口で困惑するカズイに言う。子どもだと思って侮ったのが運の尽きだ。寂しい者同士、愛し愛されようじゃないか、そういう覚悟がフータにはあった。び、と中指を立てたフータは、急いで服を着替えて外に出た。
おわり